星飛雄馬の父星一徹は33歳(107ページ)
こう書かれてあるが出典がどこにも書かれていない。そもそも『巨人の星』の原作では一徹の年齢はどこにも書かれていないので、「33歳」はこの雑学活脳研究会による勝手な憶測に過ぎない。サザエさんがアニメで24歳らしいというのは『サザエさん』のキャラクターの年齢が固定されているからわかるとして、『巨人の星』の登場人物の年齢を勝手に決めたところで、それが作品のどの場面のことか明記しないと意味がない。『巨人の星』は回想シーンを除いても足掛け10年に渡る時代を描いている。

原作第1話で星飛雄馬が長嶋茂雄に向かって魔送球を投げたのは1958年初め、アニメでは1957年の秋か年末だ。一方、一徹が中日のコーチになったのは1969年春のキャンプの時期。『新巨人の星』の最終回は一徹と伴と飛雄馬が夜の横浜の海を眺める場面で終わるがそれは1978年のことだ。
河崎実は『「巨人の星」の謎』で一徹が現役時代に川上哲治を「川上」と呼び捨てにしてタメクチで話していたことから川上と同じ1920年生まれとしており、そうなると一徹が33歳だったのは1953年。第1話の設定より5年前で、飛雄馬はプロ野球編の描写から1951年生まれとすると1953年当時は2歳。原作で2歳当時の飛雄馬は描かれておらず、春江の最期の場面がアニメの回想シーンで描かれたくらいである。雑学活脳研究会は回想シーンの一徹の年齢を固定化させたのだろうか?

原作またはアニメの第1話で言ってうが30代だとしてみた場合の年齢を検証してみた。アニメの第1話は1957年の設定で、そこで一徹が33歳とするとアニメ第161話「飛雄馬の母」で一徹に赤紙が来たとき、一徹は弱冠20歳だったことになるが、外見上、一徹は30代半ば以上に見えた。外見が年取っていたのか?このあたり、雑学活能研究会は本で何も説明していない。
└→星一徹推定年齢変遷(1957年または1958年で30代)
└→「星一徹“33歳”説」を検証(第1話で30代の場合)

ドラえもんの動力源は原子炉(108ページ)
これも『ドラえもん』の原作をよく読んでいる人には一般教養であり、大騒ぎするほどのことではない。
てんコミ第11巻の「ドラえもん百科」でドラえもんの体内の「原子ろ」が食べ物をエネルギーに変換するとなっているし、第21巻「未来の町にただ一人」ではドラえもんが「原子炉(ここでは全部漢字表記)」の調子が悪くなったので2125年のトーキョーに一時的に帰還している。第45巻「ドラえもんが重病に?」ではドラえもんの体内に「電子胃ぶくろ(~袋)」があることになっている。

なお、柳田理科雄は『空想科学読本』でアトムとエイトマンの原子力エネルギーについて触れ、周圍の人々が被曝する恐れがあると書いてはいるが、ドラえもんの原子炉については触れていない。柳田氏はドラえもんに関してはまずタケコプターの可能性について検証し(のちに千葉大学の試験、さらに『トリビアの泉』でも話題に)、次に『空想非科学大全』でどこでもドアについて検証、あとは『科学読本』の後続シリーズでドラえもんの体格と野比家の構造について、次に読者からの質問に答える企画でジャイアンの歌の破壊力などについて触れてはいるが、著書を見る限りでは柳田氏自身が子供のころに『ドラえもん』を楽しんだという形跡が見受けられない。やはり昭和30年代生まれは『ドラえもん』に関心が薄かったのか。柳田氏の世代なら『パーマン』『オバケのQ太郎』を楽しんだはずだが、柳田氏はそれについても言及していない。「ウルトラの父がつけたウルトラ兄弟の点数表」というマイナーなネタについて「なぜこれについて質問する人がいないのか」と悩んでいたようである。やはり世代的な理由か。

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2011年3/29 3月