映画『必殺!主水死す』(1996年公開)【作品】

この映画では中村主水、飾り職人の秀、三味線屋の勇次が1984年の『必殺仕事人IV』以来12年ぶり(1995年の撮影の時点では11年ぶり)に共演したことが注目点の一つであるが、劇中で秀と勇次が一緒の場面があるだけで、主水と秀、主水と勇次が同じ場面にいるシーンはない。
お夢こと千代(名取裕子)、捨蔵(細川ふみえ)、おけい(東ちづる)が主水と一緒の場面はあるし、お夢と捨蔵またはおけいがそれぞれ勇次と一緒の場面はあるのだが、主水がいる場面では秀も勇次も登場していない。

これは藤田まこと、三田村邦彦、中条きよしの撮影スケジュールが合わなかったことによる。
山田誠二氏『必殺!大全集』(データハウス、1996年)によると1995年当時の撮影はこうなっていた。

1995年9月28日、藤田まことがスタッフと久々に会い、打ち合わせと撮影開始。
1995年11月10日、藤田まことの撮影最終日。

1995年11月13日、津川雅彦ほか出演者数名とスタッフが撮影準備。ここで、かつて『新必殺仕事人』(1981年)から『仕事人vsオール江戸警察』(1990年)までの必殺シリーズで筆頭同心・田中を演じていた山内としおが別の東映のVシネマ時代劇の撮影のために同心姿で来訪。スタッフが「山内さん、メチャメチャ違和感なく、こっちの現場に溶け込んでますね」「ものすごく溶け込んでますね」とコメント。そのまま一瞬でも出演してほしかった気がする。

1995年11月19日、中条きよし初日。お夢と捨蔵が勇次の家に三味線を預けに来る場面。1984年の『必殺仕切人』から11年ぶりの勇次役。
1995年11月23日、三田村邦彦初日。『必殺仕事人・激突!』の終了が1992年だったから3年ぶり。
1995年11月25日、中条と三田村の撮影。勇次と秀としての共演は『仕事人IV』以来11年ぶりだが、『将軍家光忍び旅』パート1の最終回(1993年)で共演している。
1996年11月26日、中条と三田村の撮影最終日。
1995年12月6日、撮影終了記者会見。藤田まこと、中条きよし、三田村邦彦がそれぞれ主水、勇次、秀の恰好で出席。

こういうわけで藤田まことが撮影現場にいたのは9月末から11月10日まで。
中条きよしと三田村邦彦のどちらかがいたのは11月19日以降なので、3人が本当に同じ場にいたので、『必殺!大全集』で観た限りでは、撮影終了後の記者会見の場ということになる。

『必殺!大全集』によるとこの記者会見で藤田まことは「必殺は絶えず再放送が日本全国で行われていますのでテレビでは主水は永久に生き続けます」と言い、三田村邦彦は「またテレビで(必殺の新作を)やるんでしょうが」とコメント(横で藤田まことが首を横にふっていたらしい)。両者は当時は冗談で言ったのであろう。

なお、藤田まことと中条きよしは『主水死す』公開から3年後、1999年公開の映画『必殺!三味線屋・勇次』で共演しており、この映画では藤田まこと扮する伝兵衛が勇次と話す場面がある。


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2010年10/6

関連語句
主水死す 中村主水 1849 1851 葛飾北斎 1849 主水 山田誠二 必殺!大全集


注釋
主水を演じて20年
『激突!』終了の時点で20年目であれば、『仕事人2009』の時点ではどうか。西暦2009年の時点で中村主水初登場から36年だが、藤田まことが主水を演じたのは『激突!』終了まで連続20年としても1996年の映画と2007年のSP、2009年のドラマではそれぞれ1年以内で、間にブランクがあるので、やはり、実質20数年である。もちろん、空白期間を含めれば、「藤田まことは1973年の『必殺仕置人』から主水を演じて、『必殺仕事人2009』までで36年」ということになる。もちろん、1979年スタートの『必殺仕事人』から30年である。

必殺シリーズ幕末編
『仕留人』は黒船来航(1853~1854年)、『大老殺し』は安政の大獄(1858年)から桜田門外の変(1860年)まで、『横浜』は清河八郎の浪士隊(1863年)と鳥羽・伏見の戦い(1868年)を描いている。