2010年2月15日『水戸黄門』第37部再放送(水戸→江戸)、水戸の若君が14歳?
2010年2月15日『水戸黄門』再放送は中村敦夫が紀伊國屋文左衛門役で、本放送の最終回2時間SPを前後にわけて再放送したようで、今回は前半。

綱條の息子・徳川吉孚が植物学を勉強したがって、江戸の水戸藩上屋敷から失踪。実は「かどわかされた」らしい。
吉孚は14歳。1685年生まれで、数え年で14歳とすると満13歳なので時代設定は1698年。

第40部に登場した松尾芭蕉は1694年に没している。
第40部は時代設定が芭蕉の生きていた時代なので、1694年以前。
第37部から第40部までで時代が4年、過去にさかこぼっている。

紀伊光貞が登場。紀州藩と文左衛門と根来(ねごろ)の忍者が水戸の若君失踪の黒幕らしい。
1698年、光貞が隠居し、徳川綱教が3代目藩主になった。劇中の光貞は隠居寸前か。

劇中で光圀は『大日本史』を南北朝時代まで完成させ、それを綱吉に献上している。
元禄10年(1697年)に『百王本紀』として一応の完成を迎え、完全な完成は明治時代。

後半の再放送は2月16日。光貞は息子・綱教を6代将軍にしようとした。6代目は家宣、7代目は家継であったが、最終的に光貞の息子・吉宗が8代将軍となった。綱教の妻は鶴姫で、鶴姫は綱吉のむすめであった。この鶴姫は『暴れん坊将軍』の鶴姫とは別人である。

若君を人質に取った紀伊一派は綱條に「副将軍という役職は不要。まつりごとに口を出すな」と警告。「副将軍」は時代はなかったか、ことばではあっても有名無実だったはず。また、この話では柳沢吉保が出てこない。結局、政治の責任の所在をあいまいにしていた綱吉の責任であろう。
www.tbs.co.jp/mito/mito37/5.html#l23

終盤で若君は光圀によって救い出され、光貞一派の幕臣が失脚。インターネットで調べると光貞の隠居は1698年。光圀が没する2年前の話だったことになる。
ところで、この水戸の若君は吉宗と1歳違い。吉宗(当時は頼方)は1698年当時、数え年15歳だったわけだ。

アキは光圀に別れを告げ、一人で伊賀に旅立つ。忍びとはいえ、子供なのだから弥七かお娟がついていればいいと思うのだが。そこで鬼若が現れ、アキを肩に乗せて去って行った。あの鬼若は本物なのか、それとも幻なのかわからない。