江戸時代後期で中村主水6種類【壱】 

また『必殺!III裏か表か』は文政時代が舞台で、ネットで再確認すると1820年(文政3年)4月の話。一方、『必殺仕事人2007』では1820年の2月14日に南町奉行所の定町廻りから書庫番に移り、渡辺小五郎(~しょうごろう<*せうごらう)が後任となった。
そして翌1821年(文政4年)、『必殺仕事人2009』で主水は自身番勤務になっている。
主水は書庫番に移ったとき、あと数年でお役御免ということを言っており、奉行所では長老で、今で言う定年が近かったのだろう。

ところが、この時代から8年たった1828年から1829年までのシーボルト事件のとき、主水は相変わらず南町の定町廻り同心である。

これも、文政時代に1771年生まれと1781年生まれの2種類の主水がいたと解釋することで解決する。
『2007』『2009』の主水は1771年生まれの主水で、シーボルト事件のときの主水は1781年生まれのほうであろう。

また、この江戸後期で主水6種類を採用すると、1835年のハレー彗星接近のとき、主水が「仕事人」だったことも説明できる。この主水は例えば1791年生まれで、1830年代で40代の主水であろう。この場合、主水は1835年で45歳、筆頭同心・田中は26歳であり、両方とも現役の同心としておかしくない。
「天保の中村主水」を一人にするとハレー彗星当時の主水は35歳、田中様は16歳になってしまうが、二人に設定することで年齢の問題を解決できる。

また、この「江戸後期で主水6種類」では『必殺仕置屋稼業』と『仕事人vsオール江戸警察』の矛盾も解消する。
1841年に鳥居耀蔵が南町奉行になったときの主水は31歳(1811年生まれ)、41歳(1801年生まれ)、51歳(1791年生まれ)の3種類がありうる。
『仕置屋稼業』の主水は1841年当時、31歳または41歳で、この1841年または翌1842年に南町奉行所に異動になり、『オール江戸警察』の主水は1841年当時で南町奉行所では最古参だったと想われ、鳥居の配下で働くことになったとき、41歳または51歳だったのだろう。
『主水死す』の主水は1851年当時、おそらく51歳、1801年生まれであろう。

1853年黒船来航のときの主水は33歳(1821年生まれ)または43歳(1811年生まれ)。
1858年の安政の大獄のときの主水は38歳(1821年生まれ)または48歳(1811年生まれ)。