秀、勇次、加代【人物】 

中村主水の「仕置人」から「仕事人」に至る裏稼業の変遷が、文化・文政、天保、幕末の3つの時代に分かれて3とおり存在したとすれば、主水の仲間である鉄、錠、おきん、半次といった仕置人、さらに勇次加代といった仕事人たちも文化・文政、天保、幕末に別々に存在したと解釋するのが妥当であろう。

 

(【田沼時代?~天保以降?】)
(平賀源内の時代→『アヘン戦争』『仕切人』で勇次が出会った源内は2代目、3代目か)
└→もしも平賀源内に2世、3世がいたら(壱)

 

(【寛政?~天保?】)
(長谷川平蔵がいた時代、『三日殺し軍団』で主水が政、加代と組み、朝吉と再会。下注釋

 

【文政】
1820年 (文政3年)『裏か表か』の抗争でが主水、加代グループに復帰。組紐屋の竜没す。
1826年 は『黄金の血』で鍛冶屋の政に足を洗うよう勧める。仲間は蝶々の朝吉、夢次など。
1828~1829年 『春雨じゃ、悪人退治』で加代が米相場に手を出すが、大暴落して大損。

 

【天保】
1833年 『必殺まっしぐら!』で大塩平八郎がの標的に。
1835年 『激闘編』でのハレー彗星接近が江戸時代後期とするのこの時期。
└→主水と加代は鍛冶屋の政、組紐屋の竜(2代目?)、はぐれ仕事人・壱、弐、参と組んでいた。
1837年 大塩平八郎の乱。
1841~1844年 『オール江戸警察』で鳥居耀蔵の仕事人狩りにより、加代たちが危機におちいる。
└→このときの三味線屋は田村亮が演じた元武士(津軽藩士だったらしい)で、中条きよし扮する勇次とは別人。
1840年代前後(推定) 『香港・マカオ』で主水とが海外出張仕事。
1842年ごろ 『仕事人アヘン戦争へ行く』で主水、勇次加代、順之助が香港へ。
1843~1844年ごろ 『意外伝』で主水と加代が新たに組紐屋の竜(2代目?)、花屋の政と組む。
1844年 主水が鳥居耀蔵を暗殺し、加代たちが江戸から去る。
└→そのあと、平手造酒(ひらてみき)が利根川を下り、大利根川原での斬り合いで没す。
└→『意外伝』でこの闘争が描かれたらしい。

 

【幕末直前(天保時代に仕事人になった主水はここで歴史の舞台から去る)】
1845年 ポルトガルが「マカオ自由港」成立を宣言。
└→Wikipedia マカオ>歴史>ポルトガルの植民地に
1849~1851年 『主水死す』で勇次が主水と組み、主水の入った小屋の爆發を見届ける。
1850年代初め(推定) 『三味線屋・勇次の舞台か。

 

【幕末】
1858~1860年 『大老殺し』で加代が主水と再会。主水が井伊直弼を暗殺するとき加代が協力。仲間はかげろうの影太郎と鍛冶屋の政。
1860年ごろ(推定) 『激突!』でが主水グループに参加。
└→江戸のクロねこ 必殺仕事人 激突!(「仕事人」と「激突」の間に点がなく、「!」は全角)
1863年 『横浜異人屋敷』で闇の会解散。加代が大筒の試し撃ちの的にされ、奇跡的に生き延びる。仲間は鍛冶屋の政、蝶々の朝吉、清河八郎。
1866~1867年 主水と加代が『ブラウン館』の仕事。組紐屋の竜と花屋の政、おりく、順之助が仲間。

 

前後一覧
2009年5/29

 

関連語句
まっしぐら 仕切人 加代(タイトル)
必殺まっしぐら! 必殺仕切人 秀 勇次 加代(内容)

注釋
長谷川平蔵のいた時代
長谷川宣以(はせがはのぶため、1745または1746~1795)が『鬼平犯科帳』の「長谷川平蔵」として有名。その子が長谷川宣義(のぶよし、1772~1837)で、大塩平八郎の乱があった年に没している。その子・長谷川宣茂の生没年は不明。
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長谷川平蔵 または 長谷川宣茂で検索

参照
必殺シリーズ作中概略年表(文化・文政以降)
必殺シリーズ(2009年5月10日~)