Y!Japan Y!辞書 Google Wikipedia 雅虎 谷歌 Y!Korea Amazon

資料(史料)
ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球セ・パ誕生60年創刊号(Vol.1)長嶋茂雄引退』4月7日・14日号
JBOOK
週刊プロ野球 長嶋茂雄 で検索

 

 

講談社漫画文庫『侍ジャイアンツ』第8巻

 

 

 

講談社漫画文庫『野球狂の詩』
4巻第18話「恐怖のTO砲」、第19話「モビー・ゴッド」、第20話「ガッツ10番」
5巻第26話「スラッガー10番」
6巻第29話「北の狼 南の虎」、第30話「白球七五三」

OP戦、太平洋ライオンズのハワードが番場蛮のハラキリ・シュートを打つ。
番場は入院後、空手の修行。

 

 

 

4月6日、開幕。
巨×ヤ(後楽園)、眉月がハラキリ・シュートに対してバント作戦。
4月、国分寺球場でメッツ×阪神戦でTO砲デビュー。
前半戦、甲子園のメッツ×阪神戦で火浦健と王島大介がルーキー対決。
4月8日、報知新聞で与那嶺監督の談話が掲載。その次の巨×中は4月20日と22日、後楽園。
4~5月、中日首位。

 

 

 

5月5~7日、メッツ×阪神北陸3連戦(推定)。
└→直前に日下部と富樫が一軍入り。7日が新潟で富樫が勝利投手。阪神は金田正泰監督。
└→富樫が観ていた5月のカレンダーは1974年のもの
5~6月、巨人と阪神が首位争い。
5月~6月半ば、大洋が5位と6位を往復。
5月から出場した海王神人の猛打でホエールズ浮上。

 

 

 

6~8月、阪神が首位独走。
6月、長嶋不調。王も敬遠されるなどにより、田淵と衣笠にHR競争で抜かれていた。
6月25、26日、広島戦。27日は試合なし。
6月に広島3連戦、ただし雨で流れたのは第2試合。
番場、広島戦でハラキリSを衣笠に打たれる。第1試合では外野で末次がキャッチしてアウト。第2試合は雨で流れ、第2試合で衣笠が2段打法でハラキリSを打ち、場外HR。

 

 

 

7月2、3、4日、札幌円山球場で巨×広。
番場はプレートを踏む位置を変えたハラキリSで衣笠のバットを折って雪辱。
7月21~23日、球宴でパ・リーグ連勝。
7月21日、球宴第1戦。野村にハラキリSの弱点を突かれる。高井保弘サヨナラHR。
東京メッツの長島太郎、二軍で練習中。

 

 

 

8月、番場蛮が分身魔球を開發。
8月18日、巨人が中日、阪神を抜いて首位に返り咲く。
8月27、28、29日、巨×中3連戦。番場蛮の最期の試合はこの8月29日か。

 

 

 

9月、「北の狼 南の虎」ではメッツと阪神が3位以下を大きく引き離し、0.5ゲーム差で首位争い。
9月3日、中日が再び首位に。
9月5日、巨人が2位になって中日単独首位。
9月後半、「おれは長島だ!」では巨人と中日が首位争いを展開し、メッツは最下位決定。

 

 

 

10月10日、「北の狼 南の虎」ではメッツが阪神を破り、優勝。火浦健が王島大介を三振に打ち取った。国立玉一郎がHR王。
10月12日、中×洋、中日がセ・リーグV。
10月14日、巨×中、長嶋茂雄引退。メッツは広島戦で、長島太郎が初HR、引退宣言。メッツの先發ピッチャーは日下部。
10月16~23日、日本シリーズでロッテV。
└→「白球七五三」ではメッツVか。

 

 

 

11月(推定)、「昭和49年度」のドラフトでメッツが日下部了を1位指名(しかし、日下部の現役1年目は1974年=昭和49年のシーズン)。

 

 

 

前後一覧
2008年9/15 [3] [4] 9/15~16 9/16午前10:21~午後1:09
2009年4/6