『巨人の星』で飛雄馬が1966年春に青雲高校に入学しながら、高1夏の甲子園が終わった段階で67年秋になっていたのは、作品が飛雄馬の高校野球時代の練習、予選、甲子園大会を綿密に描いたからである。

 

 

文庫『巨人の星』10巻(「きのうの英雄 きょうの敗者」~「青春のぬけがら」)の巻末で村上知彦が『高校野球まんがとしての「巨人の星」』というコメントを寄せている。『巨人の星』は高校野球を克明に描いた最初の漫画だったらしい。
主に高校野球を扱った『男どアホウ甲子園』『ドカベン』『タッチ』といった作品は梶原一騎へのアンチテーゼのように見えるが、村上氏は梶原一騎作品がこれら後続作品の原形を作ったという見方に立っており、この視点は斬新である。

 

 

 

アニメの再放送で『巨人の星』の高校野球編を観たとき、「高校球界の豪速球投手・星飛雄馬」という設定のままで物語が最後まで進んでいればよかったとすら想えてきた。プロ編になった時点で愛知代表の太刀川のような好敵手は作品から忘れ去られてしまった。
70年代において梶原一騎の『巨人の星』が虚実合わせたプロ野球漫画で、『ドカベン』は高校野球漫画の代表であった。21世紀初めになってリメイクされた『新約「巨人の星」花形』が高校野球編であるとき、『ドカベン スーパースターズ編』が虚実混ざったプロ野球漫画となって、立場が逆轉している。

 

 

 

『ドカベン』のプロ編は水島新司が『男どアホウ甲子園』や『野球狂の詩』で積み重ねた成果が出ている。また、『新約』は読者が『巨人の星』の高校野球編を見直す切っ掛けになるのではなかろうか。

 

 

 

もし、星飛雄馬が東京の青雲高校で勝ち続けていたら
星飛雄馬の高校野球は高1夏の予選から甲子園までの半年で終わったが、もし、青雲が夏の甲子園で優勝していたら、飛雄馬をエースとする青雲ナインは秋季大会で帝都などと再び対戦、関東大会で紅洋と再度対戦したかも知れないし、春の選抜にも選ばれ、甲子園連続Vを目指しただろう。
その場合、飛雄馬の高校卒業は、近鉄に入った太田幸司と同じ70年春。それから「巨人の星」を目指したとしても決して遅くはなかったし、V9に貢献するにしても、充分に間に合ったはずだ。
そういう展開も観たかった気がする。
伴、花形、左門は先に卒業してしまうが、もし、彼らが飛雄馬と同学年であれば、3年間、何度も戦えた。

 

 

 

伴、花形、左門が飛雄馬より2年先輩という設定は、作者が飛雄馬の退学を初めから想定した上でのことだろう。

 

 

 

 

 

 

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2009年3/30