少チャンC第6巻(1984年5月5日初版)
徳川監督が犬飼知三郎と出会ったのは、山田世代高2の冬、12月14日であった。犬飼小次郎も南海の秋季練習が終わって帰郷しており、土佐丸を率いている武蔵(たけぞう、たけザウ)とともに3兄弟が家にいたところを徳川監督が訪ねていた。

 

当時、知三郎は中学3年。
山田世代高3の春、甲子園の選抜で明訓が土佐丸と対戦していたとき、知三郎が室戸学習塾に入学したわけだ。

 

知三郎は高1の夏に山田世代と対戦。

 

141~145ページで室戸学習塾の守備陣が打者・殿馬のリズムを乱そうと別々の歌を同時に歌った。
捕手・棟方が歌ったのは「ふるさと」
1塁手・朝永が歌ったのは小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」。Wikipedia によると83年11月發賣。
投手・犬飼知三郎は「南国土佐を後にして」らしき歌を歌った。
3塁手・湯川は松田聖子の「瞳はダイアモンド」を歌った。この曲は83年10月28日發賣。
つまり、「艶姿ナミダ娘」と「瞳はダイアモンド」は83年の秋に出たレコードであり、夏の甲子園で高校生が歌ったとしても、早くて1984年の夏以降である。
└→甲子園・夏の大会

 

少チャンC第8巻(1984年8月25日初版)
明訓が室戸に勝利し、光高校が南波と対戦。

 

源造という記者が「火浦健と松坂子(まつざかけいこ)の密会」を「疑惑」としてスクープ記事にしようとしたが無理であった。『週刊ラッキー』を出している「ラッキー社」らしい。

 

「疑惑」といえば三浦事件。いわゆる「ロス疑惑」である。
今でこそ、「みうらかずよし」といえばサッカーの選手と名前が似ていることが話題になるが、80年代初めは山口百恵が引退した直後で、「三浦」といえば三浦友和と結婚して三浦百恵になった歌手のほうが有名あった。

 

山口百恵が引退したのは松田聖子のデビューと入れ替わりの1980年。
「ロス疑惑」は1981年に起きた。柴咲コウ、荒川静香、安達祐実が81年生まれらしいから時代も変わったものである。

 

第8巻188ページで源造が明訓と光(ひかり)高校の宿舎を調べる場面がある。
書かれてある出場校は以下のとおり。

 

滝川谷…、北海…、りん…(青森代表・りんご園農業高校であろう)、花巻(「巻」は上の部分だけ)、竿頭(「頭」は上の部分だけ)…、山形…、青葉城(「城」は字の一部だけ)…、順光、日立学園、江川学院、群馬二、西武学園、青田、巨人学園、光、明訓、上越、信州一、甲斐、富士北、尾張一、長良川商、鈴鹿中沢?(字の右半分だけ)

 

学校名の下に旅館が書かれてあり、神奈川明訓高校はいつもの芦田旅館。

 

第4巻で高知代表が決定する直前の日本地図などをもとに代表地域を列挙すると、滝川谷高は北海大三高とともに北海道代表。花巻は岩手。青葉城は宮城。江川は栃木。西武は埼玉。青田は千葉。巨人と光は東京。明訓は神奈川。上越高は第5巻で新潟県代表と判明している。信州一は長野。甲斐は山梨。富士北は静岡(静岡は富士山の南であるが)。尾張一は愛知。長良川は岐阜。鈴鹿は三重。
前年(山田世代高2夏)の上位2校、通天閣(大阪)と甲府(山梨)がいずれも出場をのがしている。
└→山田世代高2と高3夏の甲子園出場校

 

ちなみに、この第8巻188ページに描かれた看板で「宿舎」の「舎」は2つ書かれてあり、上にあるのは中央が「土」の「舎」で、下に書かれてあるのは中央が「干」の「舍」であった。
「捨」になると右の中央が「土」のほうでも、「干」のほうでも同じページに載っている。
└→漢字論原点回帰II原作『ドカベン』手書き略字II🖊

 

この『大甲子園』のときの甲子園にはラッキーゾーンが存在した。

 

南海ホークスがダイエーホークスになったのは1989年。
『ドカベン・プロ野球編』の設定では犬飼小次郎はホークスがダイエーだった93年に入団したことになっている(ドラフト指名は92年秋)。

 

甲子園のラッキーゾーンは1992年から撤去された。
水島新司の漫画を集めた『I Love Baseball』収録の短編「ラッキーゾーン」でそのことが描かれている。
ちなみに、92年は松井秀喜が5打席連続敬遠された年であった。

 

その後、95年から山田世代がプロ入り。
小次郎はダイエーホークスで岩鬼と同僚となり、武蔵は阪神に入団し、西武では山田と知三郎がバッテリーを組んだ。そして2004年から山田、岩鬼らが東京スーパースターズに、犬飼3兄弟が四国アイアンドッグスに移籍。

 

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