「太助ちゃんって嫌いな食べ物あるでしょ?」

いつものように窓際の席で外を眺めている太助の横で香奈ちゃんが熱心に太助に話しかけている。太助はというとこれまたいつものペースで「ふむ」なんて頷いている。マスターとして僕はそこに混ざることはできないが、お客様がそうやって微笑んでいるものを見るのはカフェを開いてよかったと思うこと一番の瞬間だったりもする。

「ふむじゃなくてー!何が嫌いか教えてくれないの?」

香奈ちゃんの質問に太助はゆっくりと顔を上げ、「ふむ」と言いながら入り口のすぐ傍にある鉢植えを指差した。(いや、正確には指ではなかったと思うが)

「あはは。太助ちゃん、鉢植えも食べるの?」

僕にはすぐにそれがアレだと気づいてちょっと吹き出してしまったが、香奈ちゃんはまだその存在を知らないようなので静かに見守ることにした。太助がソレを嫌いになったのにはいろいろと経緯があるのだが、おそらくいま太助が示しているものは香奈ちゃんの質問の答えにはあっていないと思う。だって、ソレは食べ物じゃないから。

「おぬし、天敵という言葉を知っておるか?」

いぶし銀の侠客のような鋭い眼光とともに、太助は香奈ちゃんに質問を返した。

「そ、そりゃ、天敵って言葉は知ってるけど…、それがどうしたの?」

「それじゃ…」

太助の答えに香奈ちゃんはソレがいる鉢植えを凝視した。そして席を立つと、鉢植えまで歩いてゆき、腰を下ろして手を伸ばした。

「あ、あぶない!」

僕は思わず香奈ちゃんに向かって大きな声を出していた。「え?」と振り向いた香奈ちゃんだったが、その瞬間、「痛ッ!」という声とともに手を引っ込めた。僕はすぐに香奈ちゃんの傍に駆け寄る。

「大丈夫?怪我してへん?」

香奈ちゃんの手の甲は少しだけ赤くなっていたが血が出ているようすはなかった。香奈ちゃんは小さく頷いたが、それでもいまだに状況がよくわかっていない様子で目を丸くしたまま固まっていた。太助はしばらくこっちのほうを心配そうに見ていたが、大丈夫なことを確認すると、ほれみたことかと再び窓の外へと視線をやってコーヒーをひとすすりした。

「な、な、なんなんですか?マスター」

動揺を隠せない香奈ちゃんをとりあえず落ち着かせるために、カウンターに座らせて窓際から飲みかけのコーヒーを持ってきた。

「はい、落ち着いてな」

ひとくち飲んだあと、ようやく落ち着いたのか、香奈ちゃんはしずかに僕のほうを見てもう一度「驚きました」と吐露した。これはたぶん説明してあげなきゃ後味悪いだろうなと判断した僕はソレと太助の関係について話さなきゃなと思った。

「とりあえず、驚かせてゴメンな。香奈ちゃんを驚かせたアレな、"ヒトデナシ"っていう梨の苗木なんよ。スリランカの山奥で売ってたのを一苦労して手に入れてきた代物なんやけども」

そこまで言うと香奈ちゃんが口を挟んできた。

「梨ってことは、やっぱりアレ、植物ですよね?なんで動くんですか?」

もっともな疑問だ。が、このカフェがどういう場所かを香奈ちゃんはすっかり忘れている。

「アレな、自分に触れようとするものに対して攻撃をすることのできる珍しい植物なんよ。食虫植物とか、あるやろ?あれのもっと強いやつだと思えばええよ。最後には日本の梨よりもずっと大きな実をつけるらしいし、って、まぁ、その実を採るのに一苦労も二苦労もするらしいねんけどね」

そこまで言うと香奈ちゃんはあの植物が積極的に動いて攻撃を加えるものではないことを理解したようだ。

「で、なんでそのヒトデナシのことを太助ちゃんは天敵って呼ぶんですか?」

「あぁ、それはね、まずは名前。太助って、変に仁義を貫く部分あるやん?そこに"ヒトデナシ"って名前だから、それだけでまず対抗心燃やしちゃって。あとは、太助が普段歩く高さが、ちょうどアレの高さと同じくらいで、店に持ってきてすぐの頃はちょくちょく攻撃されててんよ」

こちらのほうを気にしてチラチラと見ていた太助だったが、香奈ちゃんが太助のほうを見ると、驚き慌てて窓の外に視線を移した。その姿に香奈ちゃんはぷっと吹き出して笑顔になった。

「やっぱ太助ちゃんってかわいいですね」

香奈ちゃんの笑顔を見た僕も思わず笑顔になった。

「あ、でも、嫌いな食べ物って聞いたのに、なんで天敵を答えたんでしょうね?」

その理由はなんとなくわかった。

「それはたぶん…、いちばん最初に僕が太助に"梨を仕入れてきたよ"って教えたからだと思いますよ。普通の梨だと思ってたのにアレだったから、太助、ヘソ曲げてしもてなぁ…」

香奈ちゃんはまた笑った。そして僕も笑った。太助はバツが悪いのかピクリとも動かず窓の外を眺めていた。

ここは『カフェ・サンチャルネスト』。
ちょっと落ち着いた空間に、非日常が宿る場所。

To Be Continued ...