先日、ピアノ演奏担当で所属の〈声とことばの磯貝メソッド〉主催の対談【LaLaLaいそがい ら・ら・らいぶ】に出演させていただきました。

「自由に表現できるようになる」ことが、あらゆるメソッドの最終目標だと思います。
では、自由とはどのようなことなのか。表現活動に限らず、日常生活においての「自由」とはどのような時に感じるのか、ずっと考えてきましたし、今も考えています。
私たちは、からだを通してでしか表現できませんし、生活が営めません。関節は決まった方向にしか曲がらないし、日によって体調も変わるし、病気にもなるし、歳をとれば老化していきます。朝になり昼になり夜がやってくる。この時間の流れは絶対に変えられません。考えてみれば、私たちはちっとも自由ではないのです。
まずは、そのような不自由なことを素直に受け止める必要があります。良いメソッドの特徴は、ただやみくもに筋肉を鍛えたり、「心をこめて」とか「考えるな、感じろ!」などの、曖昧な精神論だけではなく(時にはそういうことも必要ですが…)、物事の受け止め方や、身体の物理的な動き方を正しく把握して合理的で根拠のある動作を学ぶ必要性を重視しています。人によって性格や体格が違うので、ある人にとっては、動きを阻害している思考やからだの動きのクセをなくすことだったり、別の人にとっては、新しいからだの動き方を習得することだったり、美しい物や自然、音楽などにふれることだったりします。
「このことだけやっていれば、誰でも成功する」ようなメソッドは時には有害でさえあるので注意しないといけません。
心とからだは繋がっています。心を豊かに育てるためには、からだを楽に動かせるようになることも、大切なのです。「心とからだ」どちらか、ではなく、両方です。刻々と変わっていく状況を受け止め、柔軟に最善のやり方を自然にあまり考えずに選択できるようになることが、私たちの感じる「自由」なのではないでしょうか。自由になれば、手放せることもたくさん増えますから、ただ大きな流れに身を任せているような、心地よい世界に生きることがきっとできるのでしょう。