外国語と日本語の詩の朗読についての公開講座に行ってきた。

世界の詩の朗読会に出入りしている現代詩人たち4人による、ある大学の講座だったけど、一般も入場OKだった。(なんと贅沢な!)

 

その方々が、実感として言われていたのは、

「外国語の詩のリズムは、すでに決まっていることが多い。」英語・フランス語・スペイン語、色々な言語があるけれど、

詩にすると、似通ったリズムが生まれる。

 

その中で、日本語の朗読はとても目立つそうだ。そのようなリズムをつくりにくい、特異な言語らしい。俳句や短歌のような、日本古来のリズムはあるけれど、色々な外国語に共通するようなリズム感ではない。

 

縦書きの、上から下へと流れおちていく言語。

 

 

ううむ。

私は、近代日本歌曲のことをおもいだして、うなってしまった。

 

山田耕筰、中田喜直、団伊玖磨・・・素晴らしい名曲は沢山存在する。

しかも、西洋の理論でつくられた、西洋音楽で歌う日本語の歌曲。

 

これは、すごいことなのではないか。

 

外国語の曲は、その国の言葉自体がもっているリズムそのもので、横へと進んでいく音楽だ。

上から下へと流れていく本来の日本語のリズムを、西洋の音楽理論で絶妙の繊細さで練り上げ、横へ進んでいく西洋音楽に融合させているのだから。

 

縦と横。交わるはずのないリズム感が、日本歌曲の深い奥行きとなり、情緒となっている。美しい。

 

 

 

 

 

母国語や日常生活は英語だけれど、日本語の詩をつくっている詩人に、質問したかたがいた。

「それって、不自由なことじゃない?」

 

「不自由です。でも、だからこそ、言葉本来の意味をじっくり味わうことが、できる。」

 

 

不自由だからこそ。

豊かな詩が、豊かな音楽が、豊かな生活が、紡ぎだされるのかもしれない。

 

帰り道、いつもの夕方の街は、いつもより明るく活気があるような気がした。