ずいぶんブログを放置してしまっていました・・・

書き溜めていたものや、これから書いていきたいことを、また少しづつアップしていきたいとおもいます。

 

 

【オウム的音楽】

オウムがマイケルジャクソンの曲を聞いて、踊っている映像をみた。

頭をふり、足を高く上げ、たてがみを逆立てて、リズムに乗ってご満悦な様子だった。見ているほうも楽しくなって思わず身体でリズムをとりたくなってしまう。
それにしても、素晴らしい身体能力だ。あんなに頭を勢いよく振っても、足元は何事もないように地面に着地しているし、あんなに高く足を上げても、転びそうになることがない。

これが、「リズムに乗る」ということなのだ。音楽を楽しむ原点のようなこと。

曲を演奏するために、私たちは練習を始めるけれど、特にクラシックの曲にとりかかる時には、楽譜の「音符」を追うことから始めることが多い。まず、音が確実に拾えるようになることを、目指し、それに慣れてきたところでリズムに合わせようとしている。

音が多くて難しい曲ほど、その傾向が強くなる。とにかく、まず「音」なのだ。四苦八苦して「音」を作ろうとするのが最優先となり、手やからだの「動き」自体に最初に注目していることは少ないのかもしれない。

最近気が付いたのは、アンサンブルが上手いひとや、譜読みが早いひとは、最初は音を全部拾えなくても、曲を最初から最後まで、弾きとおせる能力が高いということだ。音符ももちろん見えてはいるが、むしろ、音形に付随するからだの「動き」をリズムに乗せることに長けている。

もちろん、曲を充実させていくためには、そこからの練習は欠かせないけれど、指やからだが「リズム的に」始めから動かせることができるなら、完璧に弾けなくても、音楽を始めから「楽しむ」ことができるのだ。共演者が居るなら、あまり練習していなくても、すぐに合わせられて、一緒に楽しむことができる。この違いは、大きい。

オウムが何を楽しんでいるのか、もう一度よく見てみた。
拍と拍の間の動き(頭をふる、足を上げるなど)が実になめらかなのだ。音や拍を刻むこと自体を目的としていないから、楽しいのだ。

私たちも、拍と拍の間、そして音と音の合間(余韻)に、どんな動きをしているか、着目してみる必要がある。

 

息をつめて音を作り、拍を刻もうとしていないだろうか。