桜の季節と平家物語








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染井吉野


ソメイヨシノ







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大変美しい


染井吉野です


去年のブログに使いました


まだ開花以前ですもの


今年の写真はありません










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ーー教ちゃんとママの絵日記ーー







みなさまお久しぶりです(*^^*)



桜の開花の季節となりました。
私のところは、時々寒い日があるので、桜は一割程度の開花のようです。


待ちに待った春です。
気温差が大きい日が続きますので、みなさまお体ご自愛くださいね。




長い間ご無沙汰してしまってごめんなさいね。

1月4日にブログアップしてから、約3ヶ月近くお休みしてしまいました。



その間何をしていたかというと、実は、音楽ブログを始めたのでした。

教ちゃんとママの絵日記の中で、思いつくままに音楽を取り入れていたら、ほぼ毎回、音楽の話になってしまいそうなのがわかったから、ブログを二つに分けることになりました。
年末の記事をいくつかご覧になれば、一目瞭然ですね。音楽づくしです。


お知らせが遅くなって、ごめんなさいね。


教ちゃんとママの絵日記の話の進行上で必要なときや、気分転換程度に、音楽を入れていきます。


凝りすぎた、マニアックなものは、音楽レビューの方で書きますね。


興味を持たれた方は、よろしければそちらもご覧くださいませ。







あなたに珈琲と音楽を♬

龍雅&教一郎




そちらでは、【龍雅&教一郎】(りゅうが&きょういちろう)というニックネームで書いています。
私が龍雅で、教ちゃんが教一郎です。そのまんまですね〜〜






桜といえば、現在は、染井吉野が主流ですね。
とても優雅で上品な品種です。
淡いピンクの花が、日本らしさを表しているようです。
日本の国花にふさわしい、凛とした美しさです。




その染井吉野も、そろそろ寿命なんだそうですね。クローンの染井吉野を、全国で植樹したそうです。
現在咲いているのは、植えてから50年から70年ほど経っているのだそうです。

染井吉野は、エドヒガンという種類の桜とオオシマザクラが交雑してできたそうです。


染井吉野は、単一の植物ということで病気に弱くて、そろそろ寿命なので、老木や、風などで倒れそうな樹木から、植え替えていくのだそうです。











【神代曙】


次世代の日本の国花としての桜を担うのは、「神代曙」(じんだいあけぼの)という種類の、染井吉野によく似た桜ということです。


見た目もよく似ていて、色も染井吉野に近くて、少し染井吉野よりも紅色が濃いめで、華やかな色味になるそうです。
写真などを見てみると、よく似ているけど、赤みが濃いので、その分、華やかさが増すと思います。
木は染井吉野よりも少し小柄だそうです。






神代曙です。











拝借しました。







神代曙という桜は、その昔、100年ほど前に、日本からアメリカに染井吉野という桜を送ったそうです。
アメリカにお嫁にいったのですね。

そして、その染井吉野と他の桜が交雑して生まれたのが曙。

それを神代植物公園に逆輸入したら、曙という種類の桜が既にあったため、神代曙という名前がついたとのことです。

いや、ちょっと違うかな。
うーん、逆輸入された曙という桜を接木したら、別の特徴の桜になり、曙とは違う桜だったということなのですね。

結局、日本の桜同士の雑種である可能性があるようです。

ややこしくて、説明が難しいです。

















 ーー平家物語ーー






琵琶

平家物語  祇園精舎










平曲  祇園精舎










毎年、3月の桜の咲く頃になると思い出します。

3月の冷たい壇ノ浦の海に沈んでいった、平家一門のことを。



平家琵琶が好きです。
琵琶はなんだか悲しい音色ですね。
平家物語によく合います。
平家琵琶の本とCDを持っています。




15年ほど前に、平家物語にご縁があって、いろんな平家の方々の魂とお話しました。



中でも、安徳天皇は特に儚い人生でした。
当時の8歳といえば、数え年なので、今の年齢に直すと、6歳から7歳くらいなので、小学一年生くらいなんですよね。物事がわかり始める頃なんです。

二位の尼(にいのあま=平時子。高倉天皇の妃、建礼門院の母親で、平清盛の正室)の腕(かいな)に抱かれて、入水(じゅすい)された時には、ご自分の運命はそれとなく悟られていたことと思います。







平曲  先帝御入水








 






ーー安徳天皇との出会いーー






私は、15年ほど前のある日の夕方、1人でファミレスでハンバーグをいただいていました。


歴代天皇について興味があり、特に、大和朝廷やそれ以前のものに興味があり、そちらを中心に調べていました。




「歴代天皇年号事典」という本の、安徳天皇のところを読んでいたら、突如、目の前の風景に海が重なって、海がハッキリと見えたのでした。


見え始めたのは、海面が目の高さでした。見上げると水面が見える感じです。
そして、私は突然、海に沈んでいく感覚を覚えました。
口から泡がブクブクブク〜〜と出るのです。
藻や珊瑚のような物が暗い海の中でドロドロと見えました。
そして沈んでいく海の底は、真っ暗でした。


どよーんと、気分は重たくて、切なくてたまりませんでした。




その後、巨大な龍が海をザブン、ザブンとくねりながら、水面から飛び上がり、そしてまた海に潜ることを、延々と繰り返しているのが見えました。



その時は意味がわからなかったけど、後に平家物語を読んでみて、あれは安徳天皇の龍神としての姿だったんだなと気がつきました。




平家物語によりますと、二位の尼が入水するとき、

「波の下にも都がございます」
と安徳天皇に言い聞かせていとた言います。

安徳天皇は、竜宮城に戻っていかれたのでしょう。
安徳天皇は竜宮城の龍だったのかもしれません。









平家物語 全(十二)杉本圭三郎   講談社学術文庫
の、(十一)のP158参照








レストランで私は、

はああーーー
はああーーー

と、ため息が出て、胸はジンジン痛くなり、切なくてたまりませんでした。



このとき私は、安徳天皇の霊が入ってきている自覚がはっきりとありました。




家に帰っても、ずっと、

はああーーー

とため息をついていました。


それから二十四時間ずっと、海に沈み行く感覚と、龍が海を飛び上がったり、海に潜ったりを繰り返すのが見えました。





この現象は歴代天皇年号事典という本の、安徳天皇の項目を読んだ時から始まったのです。




翌日も、朝目覚めたときからずっとため息が出て、切なくてたまりません。
海に沈んでいく場面ばかり見えるのです。

私が海に沈む安徳天皇を見ているのではなくて、私の中に入っている安徳天皇が海の底に沈んで行くのがみえるのです。



あんまり切なくて困るので、夜、家族に聞いてもらうことにしました。



「安徳天皇様、あなたはどのようなご縁でこのようなところにおいでになられましたか?」


とお尋ねすると、


「以前、この人(私のこと)が、自分の母親に仕えていました」


と答えられました。


えーーー⁉️
はあ❓❓❓

今、なんて言われましたか?


「自分とは面識がないけど、昔、自分のお母様に仕えていました」



そ、そ、そ、そ、それって、中宮女房のこと?

へっ⁉️
あらま?


ってことで、前世の私に関する本を、というか、平家物語の周辺を徹底的に調べまくりました。
名前もわかりました。住んでいたところも、どんな家系かもわかりました。



今、現実で面影のある事柄で、この人が私の前世なんだろうなという人を中心に調べました。
趣味的なこととか、物事の捉え方とか。現世で出会った人たちの特徴とか。
霊感がなくても、このあたりの観察でも前世がわかることがあります。





数十年前に、800年前の私は、平安時代で、宮中で和歌を詠んでいました。
などと友達や、大勢に話していたけど、まさかそんなことが……。
当時、そんなことを書いた記録も出てきました。


それ以前の前世で、あと二回か三回、宮中で仕えていたような記憶がなんとなくあります。もっと古い時代ばかりです。


巫女や山岳修験者をやっていた前世が一番多くて、尼さんもあり、お寺で生まれたり、神社で生まれたり、有名神社で宮司さんと結婚したり、民間陰陽師をやっていたりなど、全然普通じゃない職業ばかりでした。


有名神社での巫女は、二回ほど体験があるようです。有名なお寺は一回ほど。

あなたの前世は何?  と聞かれたら、巫女と山岳修験者と答えることにしています。役行者のようなことを何度もしていたようです。




今が一番、普通です。人には普通じゃない。とか言われますが、ただの凡人です。

前世を一番受け継いでいるところは、たぶん巫女的なことだと思います。









まあ、私の前世が何であるかはどうでもいいですが。






安徳天皇は、壇ノ浦の冷たい海に沈んで、800年もの間、悲しい想いを胸に抱き続けてきたのでした。


その後、安徳天皇が発せられた言葉が、「お母様」でした。
私の特徴としては、現代語に訳されて、亡くなった方々がお話してくださるので、とても話が通じやすいのです。


安徳天皇は、お母様の建礼門院と別れ別れになりました。


平家は壇ノ浦の戦いで破れ、入水された安徳天皇は海の藻屑となり、母親の建礼門院は、源氏の網にかかり助けられました。


私の前世は、病気か何かで一旦宮中から遠ざかり、自宅にいました。
それで、女人平家たちと一緒に壇ノ浦の海に沈まずにすみました。


その代わりに、恋人とは死に別れました。恋人も壇ノ浦の海に沈んだのです。




そんなこんなの平家琵琶でした。


平家の霊を慰めるために平家物語を作った、と言われているほど、壇ノ浦の戦いは平家にとっては壮絶な戦いでした。











おそらく、安徳天皇は大勢の人に供養されていることと思います。



しかし、安徳天皇は言われました。

「自分の供養をしてくれる人は大勢いたけど」

どうしても解けない問題がありました。

「お母様」のことです。

「お母様に会いたい」

「お母様に会いたい」



「お母様はどうされていますか?」



「お母様」

「お母様」

と泣きじゃくりました。


8歳(満年齢では6〜7歳)といえば、まだまだ母親が恋しくてたまらない年頃です。


「お母様は、源氏に助けられましたよ。お母様の生まれ変わりの人を聞いてみましょうね」


と言って、いろいろとお尋ねしてみました。


「お母様とは、後の天皇に生まれ変わったときに、親子として再び巡り会えましたよ。だから安心してください。いつもお母様と一緒でしたから」


「安徳天皇は、すごく偉大な天皇に生まれ変わって、やはり壮絶な人生を送られました。しかし、大変ご立派な方でしたよ。尊敬申し上げています」


と、これらの話を繰り返しているうちに、安徳天皇は安心され、幸せになられました。





いつの世も、子供は母親を追い求めているのですね。
教ちゃんが母親を求めていたのと全く同じでした。










この平家琵琶の音色を聴いていると、教ちゃんが前世の記憶を語ります。

「お殿様、琵琶弾いとった。琵琶、ボロン、ボロンって鳴る。教ちゃん琵琶好き。だからギター好き」

と言います。


普通に前世の記憶が、サッサッと思い浮かんでくる人と、全然わからない人がいるんですね。




毎年、3月の今頃になると、冷たい海に沈んだ安徳天皇を思います。


安徳天皇が祀られている、下関の赤間神宮へ行ってみたいです。
平清盛ゆかりの、厳島神社も是非行きたいです。
 






レストランで食事をしていたとき、安徳天皇が来られるまでは、私は平家物語には興味がありませんでした。源平合戦もあまり知りませんでした。














この記事は、3月20日過ぎに書いていましたが、保存したままでした。

前世の私のことがわかることを書いていたので、やめようかと思っていました。






一箇所だけ、この時の私の前世がお勤めしていたところを訪ねたことがありましたよ。
残留思念がものすごく強かったです。

















教ちゃんと雅ママより


教ちゃんとママの絵日記