ここ何年もしたいと思いながらなかなか進まなかった
“手放す”作業。
やっと始めることが出来た。
何年も「いらないな」「もう使わないな」と思いながらも
もったいないという気持ちや、うまく売れば高値で売れるかもしれない…
など様々に手放さない理由を見つけては、
手放すことをしてこなかった物たち
そもそも、いわゆる高級ブランドが好きなわけではなく、あまり人とかぶらない服、物が好きな私の趣味で集めた物たちは、一般受けするわけもなく、どこぞの専門店やオークションなどでも一品一品丁寧に出品する手間をかければ、同じような趣味の人から買い手がつくこともあるだろうが、
実際、日々の生活に追われ、思った以上に充実したオークション生活にはならなかったし、専門の店も探し出せず…古着屋やリサイクルショップに持っていっても、せいぜい高くて300円、10円や1円で買い取られ、持ち込んだほとんどは値が付かないという始末…
これまで何度も経験して、それでも次こそは…とつい思ってしまっていた。
今回は、思い切って、捨てるという選択ができている気がする。
洋服、靴、カバン、仕事道具、化粧品、雑貨達…
何日もかけて、一日テーマを決めて
「今日はここの引き出しの中」
「今日は化粧品」
「今日は文房具」
などなどテーマはその日、片づけを始めるときの気分
断捨離という言葉は、どこぞの誰かが作った単語で
正式な定義があるようなので、あえて使わないが、
片づけを始めるきっかけになった一つであることは
まぎれもない事実。
無料のメルマガを取り出してから早数年…
読まない時は全く目も通さないが、時々タイトルが気になったりしたら無料で読める部分だけを読んでいた。
そこで、当たり前と思うようなことも
改めて文字として読むと「なるほどね…」
と思わされることが多く、「片付けたい、手放したい」
と思うことが多くなった。
片づけをしながら、たまりにたまった埃たちともさようなら。
掃除もしつつ、手放すという作業を今は楽しんでいる。
人生において、大量に手放すという作業を思い返すと
これまでに大きく3回あった。
最初に手放した時は、当時付き合っていた彼から
あまりに部屋が汚くて、別れると言われたのがきっかけで
別れたくないという思いより、物が多すぎるんだという思いで
大量に捨てたのを覚えている
結局その彼には振られて終わったけど、その後の仕事の入り方が大きく変わったという認識がある。
それ以来、大量に手放すという行事は、自分にとって、ある意味
人生のリセットという思いで、何か新しい物事、仕事、人生の出会いを求めている部分が、少なからずある。
3年前、コロナというウイルスが世界的に蔓延して、仕事の現場でも「いつもの景色」がすべて塗り替えられた。
もちろん、日常の生活も変わってしまったけれど、それでも仕事として演劇だけで食べていけるという幸せは、手放したくはない。
これから先も、自身にとっては、なくてはならないと思っている。
が、あまりに個性が強すぎるのか、私を必要としてくれる現場は、そう多くはない。(と感じている)
私自身に問題があるのだろうし、団体活動という中で、どうにも曲者として、扱いづらいのだろう…
だからこそ、気に入って使ってもらえるような人材になりたいという思いもあり、もっともっと精進していかないとと日々思うのだが、生きてきた道程は変えることは出来ないし、いくら心が入れ替わったことがあったとしても、ガラリと人柄が変わることもないわけで…一歩一歩、地道に進んでいくしかない。
個性が悪いのではなく、また、私が悪い人なのではなく、
物事に折り合いをつけるということが、非常に不器用で
何事にも真正面から真っ正直にぶつかってしまう性格を
少しでも穏やかに丸く丸くならないだろうかという気持ちもあり
その訓練の一環として、理由その2として片づけをしている。
今回は、今までに手を出すことが出来なかった物を思い切って手放すことが出来た。
いつも古着屋に300円にでもなれば…という思いで持ち込みしている店で予想の6倍1860円、そして近所に新しくできたリサイクルショップで7200円(店員さんの間違いで5000円札が1万円札で出てきてビックリしたが…)
というこれまでにない成果も出た。
持ち込んだ点数は、これまでと変わらないのに、だ。
コロナで家にいる機会も増えたということも大きな要因でもある。
じっくり1日かけて、一部屋見回しながら、片づけと向き合える。
明日から現場が始まるが、どこか一か所ずつでも日々の日課にできたらいいなと思う。
また、ここ数年、命に係わるような体の不調を感じたり、
人は当たり前のように死に向かって進んでいると実感することが
多かったというのも理由の一つになるかもしれない。
結果、検査をしてみれば良性だったけれど、もしかしたら…という事態が自身の身に起こった。
もし、今死んだら、この大量の荷物を片づける家族の身になってみれば…という思いもあった。
ミニマリストを目指しているわけではないが、物が少なければ、日々の掃除も、ちょっとした片付けもスムーズだし、それこそ手放したいと思ったときに、丁寧にオークションなどに出品することも可能になりそうだ。と実感がある。
冒頭に、「始めることが出来た」と書いたが
今の段階で、大まかにざっと家中の全体像の表面をさらったという印象だから。
正直「もう使わない」と思いながら、手放すことが出来なかった物が、《迷い箱》の中身として残っていたり、元の位置に収まったりしている。
今年の残りをかけて、人生の生まれ変わりの気持ちで、これからも
“手放す”作業
を進めていきたいと思う、今日この頃。
気付けば、1年ぶりのブログという…w
また、手放した報告します!!