生命を脅かす暑さが続く京都。
二条駅までは買い物の行くものの、
カメラを携えての寺社の参拝はやはり控えている。
そこで困った時の音楽頼み!



「ヘイ・ジョー」(Hey Joe)は、
1960年代以降、百人以上のアーティストにより
様々の音楽スタイルで演奏されている、
日本では知られていないが米国の代表的なポピュラーソング。
オリジナルはシンガー・ソング・ライターのビリー・ロバーツ。
その後ロサンゼルスのガレージロックバンド、
ザ・リーヴズ (The Leaves) によりヒット。
ジミ・ヘンドリックスが歌ったバージョンが最も有名で、
私も初めて知ったのもやはりジミヘンだった。
内容は男が浮気した妻を撃ち殺してメキシコに逃げると云う、
深い意味合いも哲学的な内容も無い、極めて刹那的なモノだ。

 

Jimi Hendrix - Hey Joe

 

なのにこれほどまでに歌い継がれるのは、
何か特別の理由が潜んでいるのだろうか?

日本国内で最もカバーされている曲は、
<第1位>「上を向いて歩こう」、
<第2位>「見上げてごらん夜の星を」、
どちらも坂本九さんである。
<第3位>は沖縄の喜納昌吉&チャンプルーズの
「花 すべての人の心に花を」。この曲は日本のみならず、
アジアで最もカバーされている名曲である。
<第4位>は森山良子の「涙そうそう」が続いている。


「ヘイ・ジョー」は正真正銘の無法者である。
アメリカは昔からならず者をヒーロー的に扱う土壌がある。
西部開拓時代のアウトローのビリー・ザ・キッド。
12歳の時に母親を侮辱した男を殺して犯罪の道をまっしぐら。
21歳の若さで亡くなるまで牛泥棒、強盗や殺人を重ね
21人を殺害しにも拘らず多数映画化され、
多くは美談として描かれている。

日本でも似たような扱いは鼠小僧治郎吉、
石川五右衛門になるのだろう。



1930年代前半に銀行強盗や殺人を繰り返したボニーとクライド。
アーサー・ペン監督『俺たちに明日はない』で描かれ、
日本でも多くの映画ファンを魅了していたが、
これも歴として犯罪者、無法者、アウトロー。
何一つ肯定されるものはないのだが、
当時の新聞社、大衆は英雄視したと伝わっている。


そしてアメリカ映画の犯罪者はカナダではなくメキシコへ?
カナダも同じく陸続きなのに、何故かメキシコ地を目指す!
メキシコとアメリカには犯罪者引渡し条約があるが、
政治犯・死刑になる可能性のある者は該当が外される。
只それだけではなさそうだ?


私の高校生の時、巷では学生運動の真っ只中。
自分自身、学生の改革運動には冷めていて、
がんじがらめの日本の社会構造からの脱出を考えていた。
それはアメリカへの密航計画だった。
子供の時からテレビから伝わる豊かなアメリカ文化群、
広大な大陸、カレッジファション、自由な音楽
全てが事細かく計算され、狭い国土に更に住居も狭く、
個人的に閉塞感漂う日本社会からの脱出、
因習的な日本から逃れられる救済の地、
新天地のように思い描いていた。

15世紀末のアメリカ大陸発見は、
先住民抜きにヨーロッパ人に新たな希望と新天地を約束し、
世界で最も繁栄を促していたが、
現実は人種問題、富の蓄積による多くの問題を増幅させていた。

もちろんアメリカへの密航計画はなされる事は無かったが、
人間だれしも息が詰まるような現実があって、
それを紛らわすべき有効な手立ても。。。。

音楽であったり、文学、絵画、映画、スイーツ、趣味の数々、

歎異抄「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
悪い行いをした人でも阿弥陀仏は救済して極楽浄土、、、

メキシコとはアメリカ大衆に取っては、
がんじがらめのアメリカ国家システムからの脱出地、
知らず知らずの内に作られた極楽浄土のような集団イメージ、
UFOの集団共有イメージと似ているのか?

「ヘイ・ジョー」の話に戻し、
The Leaves 1965年
Love 1966年3月
The Byrds 1966年7月
Johnny Hallyday 1966年
Cher 1967年
ザ・ゴールデン・カップス  1968年3月
Deep Puple 1968年7月
Wilson Pickett 1969年

ジミヘン以外で代表的なカバーは上記だが、
日本のバンドのザ・ゴールデン・カップスの
サイケデリックのカバーは今聴いてみても面白い。

お気に入りをカバーをもう一曲、
1974年に発表されたパティ・スミスの「ヘイ・ジョー」、
他のカバーとは全く違っていて、
ロックベースのジミヘンと音作りとも違う。
Hey Joe - Patti Smith

 


このカバーがジミヘンと同じ曲だと分かるのに
30年以上かかったが、
パティ・スミスはこのカバーをジミヘンに捧げている。

と言うより、
2016年にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの
代役で授賞式に出席した大柄の恰幅のいい人物が
パティ・スミスだと気づくのにかなりの時間を要した( ´艸`)
何せ彼女のレコードを頻繁に聞いていたのは
1975年からニューヨーク・パンクシーンで活躍していた数年。
今にも風に吹かれて飛んでしまいそうな位、
頬がこけてガリガリの風貌、
ロバート・メイプルソープの撮影した
衝撃的なモノクロ写真しか印象に残っていなかった。