みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月13日(月)に閉幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算42回目となった9月5日(金)の訪問記をお送りしています。


ギャラリーEASTを後に、再び大屋根リングを抜けその内側へ。水辺のウォータープラザにやって来ました。ここは記念撮影のポイントです。


この前はよく通るのですが、はじめて気づいたことがありました。それがこちら。これまで、日本で開催された万博の年と、イメージがロゴマークになっているというものでした。







懐かしいものがたくさんです。

ところで、床面のアートにはこれもありました。1975(昭和50)年とあります。

波をイメージしたようなマークです。1975年には「沖縄海洋博」が開催されたのでした。

ここからは、手元の公式ガイドブックからさまざま拾ってみることにいたします。


先ほども触れましたが、今般に至るまで開催された過去の万博会場とはレイアウトは異なり、海べりを活かした高低差のある割り合い狭隘な場所に、点在するようにパビリオンや展示館などがあったことがわかります。

博覧会のテーマは「海ーその望ましい未来」。
会期は、1975年7月20日から翌1976年1月18日まで。つまり二年に渡って開催されたという、現時点では日本唯一の会期の万博でした。温暖な沖縄で開催されたゆえに出来たことだったのでしょう。

そして、シンボルマークとマスコットマーク。先ほどのロゴマークは、これやったんですね。


今般の万博では大屋根リングがそのシンボルになっていますが、海洋博では「アクアポリス」という、これがシンボルでした。
海に浮かぶ巨大な要塞を思わせるようですが、海上での未来都市をイメージしてつくられたものだといいます。入ってみたかった!


会場は幅2kmにも及んだため、移動のため、当時開発が進んでいた新交通システムが試験を兼ねて導入されていました。ゴムタイヤを使用した、小柄なキャビン。かわいらしい車両です。

この種の新交通システムが実用化されたのは、海洋博から6年後の1981(昭和56)年2月に開業したポートライナー(神戸新交通)がはじめてのことでした。
それを考えると、実際に乗客を乗せての営業を行ったのは画期的なことだったとわかります。

ガイドブックに戻ります。海洋博のパビリオンもさまざまなものがあったようですが、いずれも博覧会のテーマである「海」を主題にしていました。

個人的に気になったのは「三菱海洋未来館」。
今般の万博、さらにひとつ前の万博「愛知万博(愛・地球博)」でもパビリオンを展開していましたが、三菱は万博への出展には積極的なようです。次の万博、横浜での「GREEN×EXPO 2027」でも出展予定だといいます。

パビリオン内は、三人掛けのムービングシートと呼ばれる座席に座って、次々と替わる展示を観覧するというもの。そういえば、この大阪・関西万博では、ライド系のパビリオンはひとつもないことに気づきました。



いまなお解き明かされていないことの多い深海を探検。これは体験してみたかったですね。

海洋博は、3年前のアメリカからの日本復帰を期して開催された側面もありました。これを契機に、沖縄本島のインフラ整備は一気に進んだといいます。
ところで、いまでは気軽に行ける沖縄ですが、巻末の交通案内を観ていますと、当時はそうではなかったようです。

離島の沖縄ですから、各地からの沖縄入りは飛行機が主。オフィシャルエアラインは日本航空が務めていました。これは、国内で開催された万博いずれでもそうなのでした。

当時、国鉄の初乗りは30円。東海道新幹線で東京〜新大阪間は「ひかり号」で片道5,010円(現在は「のぞみ号」で片道14,920円)。
飛行機はまさに、高嶺の花だったのですね。

これまで開催された万博の、その時代時代に思いを馳せるのもまた一興やなあと感じるとともに、万博の歴史は連綿と継承されているのだなとも感じた次第でした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「フリー百科事典Wikipedia#太陽の塔」)
(出典②「Instagram#つくばエキスポセンター」)
(出典③「フリー百科事典Wikipedia#2005年日本国際博覧会」)






