元来日本人は自然と対立するのではなく「共生」するという考えをもつ民族でした。一神教を信仰する多くの他民族は、自分の力で自然を変えよう、とか自然を征服しようとかいう考えのもとに生きています。日本古来の宗教である「神道」は、古くから人々の生活の一部、というより生活そのものであったため、宗教としての特別な認識が我々日本人の中には薄いようです。一神教のように唯一の神を崇拝するというようなこともなく、いたるところに神様を感じるのが神道です。そういう意味でも、神道では神様が我々の生活に溶け込んでいるために意識をすることが少ないのでしょう。樹木信仰をはじめ、自然と共生することを尊しとする神道には、いま日本人が学ぶべき教訓がたくさんあります。
春日大社の宮司、葉室頼昭氏は、日本人と米の関係についてこう述べています。
「米を主食とした日本人の考え方がすばらしいと思うのは、その土地からのエネルギーを取り入れるということが、民族にとって大切なことなんですね。だから、その土地で取れたものを食べるということは、当たり前の話ですが、その民族の健康にとっていちばん大切なことです。
しかも米は、水田の中にできるということが、非常に重要なんですね。約38億年前、生命というのは地球の水のなかに誕生した。しかも泥のなかです。まさにお米は、水と泥の田んぼからできてくるんですね。日本の土地の生命力そのものがお米です。
稲からできたものを米「こめ」というのは、つまり「こ」というのは「おとこ」を表し、「め」というのは「おとめ」を表す。すなわち男と女ということで、そこに生命という意味が含まれているのではないか。だからいのちの根である「いね」からとれたものを、いのちの根源として、「こめ」と称えたのではないかと思うのです。」
思えば思うほど、日本人が戦後失ったものはあまりにも大きいのです。神道、武道、道徳・・・。
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