蝋燭の命 | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 一本の蝋燭の焔に照らされ浮かび上がるものとは一体、何なのだろう。

 何かの雑誌を読んでいたら、こんな一文に出会った。


「闇の海には無数の孤独なる泳ぎ手が漂っている。誰もがきっと手探りでいる。誰もが絶えず消えてしまいそうになる細く短い白い帯を生じさせている。否、須臾に消えることを知っているからこそ、ジタバタさせることをやめない。やめないことでそれぞれが互いに闇夜の一灯であろうとする。無限に変幻する無数の蝋燭 の焔の中から自分に合う形と色と匂いのする焔を追い求める。あるいは望ましいと思う焔の形を演出しようとする。」


 だからだろうか、ある女性のことが思われてしまった。その人は絵を描くのが好き。しかも、深い闇の中で初めて画布に向う気になれるという不思議な人である。深い闇。決して薄明の中で目を懸命に凝らして、ボンヤリと浮かぶ何かを見詰めて、そうして描いているわけではない。


Georges_de_la_tour

→ ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour) 『悔い改めるマグダラのマリア』 (ナショナル・ギャラリー (ワシントン)) (画像は、「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール - Wikipedia 」より)



 彼女は真っ暗闇の中で何かを描いているのだ。
 そう、彼女は盲目なのだ。何も見えないのである。灯りがあろうがなかろうが、最初から関係ないのだ。彼女の傍には誰が置いたのか、一本の蝋燭がある。その蝋燭の焔が彼女の孤独な姿を浮き彫りにしている。
 一体、彼女にとって蝋燭など、まして蝋燭の焔など何の意味があるだろう。気休め? それとも、孤独な闇の底特有の寒さを、その蝋燭の焔の放つ熱でほんの少しでも凌ごうとしている?


 もしかしたら、誰かの皮肉な悪戯なのか。
 盲目の彼女が蝋燭の焔の揺らめく光に浮かび上がる。まるで蝋燭の光に頼って生きているかのような演出を狙っているのだろうか。
 蝋燭の蝋の臭い、それとも灯心の燃える臭い、それとも耳を澄まさないと聞えない芯の焼ける微かな音に蝋燭の存在に気付いているのか。いや、それとも蝋燭が燃えることで発生する熱の巻き起こす部屋の空気の微妙な変化の中に蝋燭の存在を感じないではいられないのかもしれない。


 藍色なのか紫なのか濃紺なのか、それとも色の微細な違いを見分けているように思うのは、ほんの僅かであっても何かしらの違いを捜し求める人間の性癖の産み為す幻想に過ぎないのか。
 一体、彼女は永遠の闇の中に何を見ているのだろう。漆黒の闇の、掴み所のない時空にあって、ひたすらに見詰めるのはもしかしたら彼女自身の魂なのかもしれない。


 ところで、そんな彼女の存在に気が付いたのは、秋の深まったある夜のことだった。用事があって、車を走らせて、郊外のとある住宅街の一角に向った。緩やかな坂道の中途の、蔦の絡まる古壁が妙に床しい家の脇に車を止めていた。

 用件も済んだし、さて帰ろうとすると、藍色の薄闇の中、蔦草の這う壁に一つだけ抉られたようにしてある窓に人の影を感じたのである。


 一瞬、黒い塊が動いたような気がした。

 見ると、それはどうやら人の影らしいと思われてきたのだった。
 ガラスの窓にはカーテンもないようだった。人が居るのに明りが灯されていない。もしかしたら、外の様子を伺っているのか。が、こちらが目を凝らしてみても、影はもう、微動だにしない。根拠があるわけではないが、こちらを見詰めているような気配も感じられなくなった。


(見られていると感じたのは気のせいだったのか…)


 気が付いたら、車のエンジンを切っていた。
 いつの間にか、息を潜めるようになっていたのだ。アイドリングを止めただけなのに、一気に辺りが静まり返った。心臓の鼓動の高鳴りが響いてしまうのではないかと思われるほどに、静寂が周辺を支配していた。

 目が闇に慣れて来た。真っ黒な闇から透明な紫、そして紺碧の空とが見分けられるようになってきた。窓の中の人影も、今では明確に女性の横向きの姿だと分かっていた。やや前屈みになり、手を動かしているようでもある。


 まさかと思ったが、仕草から察すると何か絵を描いているのだとしか思えなかった。外も暗いが、家の中はもっと暗いのではないか。雲が多めで、月も姿を没し、僅かに残る濃紺の空の星だけが明りの代わりとなっているが、家の中には明りの欠片もないように思えた。そんな中で何であれ、描いたりなどできるだろうか。
 いつしか勝手な妄想が湧いてくるのだった。彼女はこちらの存在に気が付いている。こちらを意識して、敢えて描くポーズを取っている。闇の海の底にあっては、目の不自由な人のほうが、はるかに自由に自在に泳ぎまわることができる。


 むしろ、足取りも覚束なくなるのは、なまじっか肉眼に頼るこちらのほうなのだ。彼女はひたすらに闇の世界に沈潜し、闇に対面し、胸のうちから命の結晶、それとも魂の囁きだけが放つことのできるこの世ならぬ煌きを愛でている。


 それは遠い天空からの透明な紙に、葉裏を伝う朝露の雫というプリズム越しにこそ焦点の合う文字で綴られた手紙。彼女だけが読むことの叶う闇の銀河宇宙の星の連なりの織り成す、不可思議の造形。
 星屑とは、魂の奏でる妙なる音色の結晶なのだ、という直感があった。遠いはるかな世界において行き倒れた誰かの末期の吐息が、絶対零度の宇宙においてその吐かれた息の形のままに凍て付き、時に無数の吐息の塊同士がぶつかり合って、火花を散らし流れ星となり、心の闇の片隅を一閃していくのだ。


 彼女に出会うには、こちらも目を閉じなければならない。肉眼を諦め、魂の熾火(おきび)の囁きにひたすらに耳を傾けなければならない。何もかもを捨て去り、見栄を捨て、真っ裸になって、恥も外聞も忘れ果て喚き散らさないと会うことは叶わない。
 孤閨を託つ彼女。が、何も見えなければ、誰にも見えなくなっているのは、実は自分なのだ。なのに、肉眼の世界で右往左往して日々を糊塗している。


(何も見えないんだよ)


4167581019092

← 高島野十郎『蝋燭』が表紙に使われている、故・久世光彦氏著の『怖い絵 』(文藝春秋刊。文春文庫所収) (拙稿「バシュラール…物質的想像力の魔 」参照)



 そう、心から訴えかけたいと思った。彼女は、そんな裸の姿を見抜いているのだ。寒々しく貧相な姿を哀れんでいるのだ。そんな姿を見透さんがために、彼女は自ら肉の目を失ったのだ。
 蝋燭の焔がゆらゆら揺れていた。風があるのだろうか。それとも蝋燭が燃え尽きようとしている? 命が風前の灯火となっている? 彼女の? それとも、消え去りつつあるのはオレの命のほうなのか。


 そんなことはどっちでもいいのだ。オレと彼女とは一心同体なのだ。彼女が立ち去ったなら、オレの命など、何ほどのものなのだ。

 蝋燭の焔はますます揺らぎが顕著になってきた。彼女の横顔が暗闇に時に鮮烈に時に曖昧に浮かび上がっていた。せめて一度でいいから、こちらを向いて欲しい。オレを描いてくれているというのなら、こちらを向かないでどうするというのだ。それともやはり描いているのはオレではないというのだろうか。


 それとも、オレは彼女の描く絵の中に辛うじて生きている?!
 そんな!


 焔はついには燃え尽きようとしていた。蝋も芯も彼女の気持ちさえもが萎え切ってしまいそうだった。オレは、(助けてくれ!)と声を張り上げた。
 いや、張り上げたつもりに過ぎなかった。


 その瞬間、オレは目が覚めた。そこは闇の海のはるか奥底だった。


                              (04/02/19 作)