君のためなら千回でも/カルフォルニアン州フリーモント
1980年代 カルフォルニアン州フリーモント
ババはアメリカという思想自体は気に入っていた。
・・・
「アミール、この世界に本当の男たちの国は三つしかない」
ババはそういって指を折りながら名前を挙げはじめた。
がむしゃらな救世主であるアメリカ、イギリス、そしてイスラエル。
・・・
三つの国のなかにイスラエルを入れることでババはフリーモント
に住むアフガニスタン人たちの反感を買い、それでは親ユダヤ
であって実質的に反イスラムではないかと、責められた。
以下のような指摘もありますが、
---
イスラエル政府は、スンニ派アラブ諸国とシーア派のイランという対立を「穏健なアラブ諸国と過激なイラン」という対立で表現することで「民主と自由を愛する世界中の穏健な人々が、イランなどのテロを好む過激な勢力の脅威に立ち向かう」という世界的な構図に拡大しようとしている。 ▼世界を巻き込むイスラエルの「穏健派対過激派」
---
・・・
「彼らがわかっていないのは---」ババはあとで決まってわたしに
こういった
・・・
「宗教などなんの関係もないことだ」ババの頭のなかでは、過分な
量の石油で自国民を肥え太らせるのに余念のないアラブの海の中
で、イスラエルだけは”本物の男たちの島”だった。
本物の男。 最近の日本ではあまり耳にすることがなくなった言葉です。
ババはガソリンスタンドでデイマネージャーにもなりますが、やはり
本物の男 にとってサンフランシスコは住みやすいところではなかったようです。
ビザが発行されるまでの間、二人はパキスタンのペシャワールに住んでいました。
「向こうの方が幸せだったよ、父さん。故郷みたいだったもの」
わたしはいった。
「たしかに私にはペシャワールの方が住みやすい。
しかし、おまえのためにはならない」
アフガン戦争 後、イギリスの線引きでパシュトゥーン人はアフガニスタンと
現在のパキスタン北西部に分断されたので、ペシャワールにはパシュトゥーン人
が多いはずで、実際、旅行ガイドのサイト には
ペシャワールは「パシュトゥー」という民族の町で、町の様子も他のパキスタンの都市とは異なります。
とあります。
イギリスが民族の分布を考慮せずに線引きした、と日本語のWikipedia
にありましたが、秀一な記事マーク付の英語版には単にDurand Line による
と書かれているだけのよう(?) でもあり、計算されたラインのようにも思えてきます。
=>
君のためなら千回でも/カブールへの帰還 に続く
[ 参考 ]
* ちなみにババと「わたし」(=アミール)が移住した先のサンフランシスコの街に
まるでスキー場のゲレンデのような急な坂が多いのは、高低差を無視して道路の
図面を引いてしまったからだと、聞いたことがあります。
* ペシャワール (Peshawar)というキーワードで検索してみ
ると、中村哲医師のペシャワール会 が目にとまります。
**
ペシャワール会がパキスタンから撤退、
そして小沢民主党とのパイプ (週刊オブイェクト)
というような記事もあります。
ただ大新聞各紙のリンク先の記事はいづれも現在は参照できなくなっていましたが、高知新聞の記事を参照することができました。
http://203.139.202.230/index.htm?&nwSrl=31301&nwVt=npd
ババはアメリカという思想自体は気に入っていた。
・・・
「アミール、この世界に本当の男たちの国は三つしかない」
ババはそういって指を折りながら名前を挙げはじめた。
がむしゃらな救世主であるアメリカ、イギリス、そしてイスラエル。
・・・
三つの国のなかにイスラエルを入れることでババはフリーモント
に住むアフガニスタン人たちの反感を買い、それでは親ユダヤ
であって実質的に反イスラムではないかと、責められた。
以下のような指摘もありますが、
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イスラエル政府は、スンニ派アラブ諸国とシーア派のイランという対立を「穏健なアラブ諸国と過激なイラン」という対立で表現することで「民主と自由を愛する世界中の穏健な人々が、イランなどのテロを好む過激な勢力の脅威に立ち向かう」という世界的な構図に拡大しようとしている。 ▼世界を巻き込むイスラエルの「穏健派対過激派」
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・・・
「彼らがわかっていないのは---」ババはあとで決まってわたしに
こういった
・・・
「宗教などなんの関係もないことだ」ババの頭のなかでは、過分な
量の石油で自国民を肥え太らせるのに余念のないアラブの海の中
で、イスラエルだけは”本物の男たちの島”だった。
本物の男。 最近の日本ではあまり耳にすることがなくなった言葉です。
ババはガソリンスタンドでデイマネージャーにもなりますが、やはり
本物の男 にとってサンフランシスコは住みやすいところではなかったようです。
ビザが発行されるまでの間、二人はパキスタンのペシャワールに住んでいました。
「向こうの方が幸せだったよ、父さん。故郷みたいだったもの」
わたしはいった。
「たしかに私にはペシャワールの方が住みやすい。
しかし、おまえのためにはならない」
アフガン戦争 後、イギリスの線引きでパシュトゥーン人はアフガニスタンと
現在のパキスタン北西部に分断されたので、ペシャワールにはパシュトゥーン人
が多いはずで、実際、旅行ガイドのサイト には
ペシャワールは「パシュトゥー」という民族の町で、町の様子も他のパキスタンの都市とは異なります。
とあります。
イギリスが民族の分布を考慮せずに線引きした、と日本語のWikipedia
にありましたが、秀一な記事マーク付の英語版には単にDurand Line による
と書かれているだけのよう(?) でもあり、計算されたラインのようにも思えてきます。
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君のためなら千回でも/カブールへの帰還 に続く
[ 参考 ]
* ちなみにババと「わたし」(=アミール)が移住した先のサンフランシスコの街に
まるでスキー場のゲレンデのような急な坂が多いのは、高低差を無視して道路の
図面を引いてしまったからだと、聞いたことがあります。
* ペシャワール (Peshawar)というキーワードで検索してみ
ると、中村哲医師のペシャワール会 が目にとまります。
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ペシャワール会がパキスタンから撤退、
そして小沢民主党とのパイプ (週刊オブイェクト)
というような記事もあります。
ただ大新聞各紙のリンク先の記事はいづれも現在は参照できなくなっていましたが、高知新聞の記事を参照することができました。
http://203.139.202.230/index.htm?&nwSrl=31301&nwVt=npd
パキスタンから撤退決定 / 日本のNGO、11月にも |
2007年10月04日21時52分 |
パキスタンやアフガニスタンで医療活動などを行っている非政府組織(NGO)の「ペシャワール会」(事務局・福岡市)は4日までに、パキスタンから11月にも撤退し、診療拠点をアフガニスタンのジャララバードに移すことを決めた。 国境地帯で双方の部隊の銃撃戦が起きるなど両国の関係は悪化しており、同会はアフガン難民を支援するNGOに対するパキスタン政府からの圧力が強まっていることなどを理由に挙げている。 同会はパキスタン・ペシャワルの「ペシャワール会医療サービス(PMS)病院」(70床)を拠点に活動。現地代表の中村哲医師(61)が「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞するなど国際的にも高い評価を得ている。 |