死後の世界はわからない。
誰も行った事が無いのだ。
「死後は無になる」と断じる者がいるが、「無になる」という証拠はどこにも無い。
各宗教は、それぞれの死後の世界を説いているが、それが正しいという証拠も、何もない。
ここで、恐ろしい話をしよう。
どんな事柄よりも、恐ろしい話だ。
もし、死後、無にならず、我々の意識が残ったとしよう。
そして、我々の魂の向かう先は、「天国」と「地獄」ではなく、全員が一様に「地獄」に行くとしたら、どうする?
想像を絶する恐怖と苦痛の世界に、千年も、二千年も、あるいはそれ以上、ずっと、ずっと、滞在し続けるとしたら?
そうならないという保証など、どこにも無いのだ。
「死んだら無になる」と主張する者は、「無になって欲しい」と信じたいのだ。
だが、もし、無にならないとしたら。
そして、行く先が地獄なら。
無論、生きて地獄を味わう人もいる。
監禁され、暴行され、という人もいる。
事故に遭って、とんでもない後遺症を負って、苦しみ、生き続ける者もいる。
だが、今、人生がつまらない。
思うようにならない。
と嘆いている人の大半は、そうした「本当の生き地獄」を味わっているわけではあるまい。
そこそこ、「ふつう」だろう。
この人生に不満を持っているかも知れないが、もしかしたら、死後の世界は、とんでもない恐怖と苦痛の世界かも知れない。
そして、その世界に堕ちて、はじめて「向こうの世界はなんて天国だったのだろうか?」と思うのかも知れない。
人間は、その時は、「まだまだ満足じゃない。もっと、もっと幸福になりたい」と思うものだが、後になってみると、その時がピークというのは良くある。
それに、赤ん坊の時は誰でも「可愛いね」「可愛いね」と周囲に言われるが、老人になれば、口に出してこそは言われないが、誰もに「なんて醜いのだろう」と思われるのだ。
つまり、人は老いるごとに、人気度が下がる。
もしかしたら、今のこの世の中が、とても素晴らしい場所で、死んだ先には、とんでもない不幸な世界が待っているかも知れない。
そうならないとは、誰にも断じる事など出来ない。
そう思ったら、そう簡単に、愚痴も出て来ないだろう。
なんて言うものの、今日もまた愚痴が出る。
くそ、また明日も仕事か!