男は理屈を語り、女は感情を語る | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ





昨日、参議院のTPPに関する集中審議で、社民党の福島みずほが吼えるのを観て、久々に痛快だった。

福島の主張は単純であり、野田総理に対し、TPPに参加するのならば、まず、国民の代表である国会で意思表明すべきだ。
国会で意思表明せずに、先に記者会見をし、その後、外国で表明するなど、国民をないがしろにしている、というものだった。

それに対し、野田総理は、理屈をこねて、はぐらかした。


両者のやりとりを観て、これは男と女の典型的なパターンだと思った。
男は理屈を語る。
それに対し、女は感情を語る。

「理屈を並べ立ててごまかす」という行為を、女は嫌う。
男はさんざんそれをやって、何度も国家を危機におちいらせて来たのだ。
過去、戦争をおっぱじめた時だって、男達は理屈を並べ、正当性を主張した。
原子力発電が安全だというロジックも、男がでっち上げた理屈である。
この理屈のおかげで、女たちは、悲惨な思いをしているのだ。

だから、例えそれが正論であっても(今回の野田総理の答弁は正論ではない)、理屈を並べられることに、女はがまんできない。
そうされればされるほど、女は不満を感じる。


対し、女は感情を表す。
女の場合、言葉は感情が音声化したものに過ぎない。
その言葉の内容自体には矛盾があるかも知れない。
関係が無いような事を言っているように感じるかも知れない。
言葉に主語が無いかも知れない。
だが、本人にしてみれば、「とにかく私は不快である」とか、「とにかく私はさみしい」という事を主張しているのである。
言葉自体は本質ではない。
(今回の福島の発言は、言葉使い自体も的確であったが)


男女の感情のもつれは、だいたい、この辺が原因になっていることが多いようだ。
男にしてみれば、「なぜ、あいつはあんなにヒステリーを起こすのか?なぜ、支離滅裂なのか?」と思う。
女にしてみれば、「なぜ、自分の気持ちをわかってくれないのか?なぜ、嘘をつくのか?」と思っている。


男女が理解し合うためには、男はもっと、感情的に話したほうが良いかも知れない。
女は、理屈を並べたほうが良いかも知れない。


だが、男は感情を表明することをためらう。
なぜならば、男が本心を表に出すと、失敗するという事を学習しているからである。
それは男女間における失敗とは限らない。
社会においても、男が本心に基づき、感情を表せば、失敗することが多い。
ウソの涙は男でも、しばしば使う。
だが、男が本気の涙を流すと、しくじるパターンが多い。
だから男は本心を隠す訓練をする。
(企業でもトップになってしまえば別だ)


しかしながら、やはり男は感情を見せる訓練をすべきだ。
理屈だって必要であるが、いくら理屈を並べても女は納得しない。
結局、何とかして、感情で伝えるしかない。
嘘が無いならば、それは可能なはずだ。

野田も、民主党の代表戦の際の演説では、多くの民主党議員の心を掴んだ。
それは、理屈を並べたのではなく、感情に訴えたからである。
だから、女性議員も、イケメンの前原ではなく、大仏の野田に投票したのである。

総理になってから、野田は感情を表に出さなくなった。
これでは何を考えているのかわからない。
本人にとっても、国民にとっても、これはマイナスだと思う。