真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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先日、あるテレビ番組で、元・モーニング娘の市井紗耶香が、ピーク時でも月十数万円しか貰っていなかったと語っていた。
元・おニャン子クラブの新田恵利は、それよりちょっと高いくらいだった。

そんなものだろうと思った。
アイドルの給料は確かに安いのだ。
アイドルグループになると、よけいに安くなる。
ほとんど、ギャラなど無い。
グループでのタレント活動は、「名前を売るためのキャンペーンだと思え」というのが業界の基本方針なのだ。

ジャニーズのような男性グループは違うだろうが、女性アイドルグループはそんなものだ。
事務所が搾取しているわけではなく、そもそも、局からタレントに支払われるギャラが安いか、無い。

モーニング娘のように、数多くのステージをこなしていながら、ギャラが安いというのは、事務所や、ステージのプロデューサーが搾取しているわけであるが。


だから、AKB48も安いと思う。
ハッキリ言って、コンビニでフルタイムでバイトするのと、あまり収入は変わるまい。
だから、事務所はピンの仕事を入れたがる。
タレント自体は月給制で安く抑えてしまえば、ピンの仕事を入れれば入れるほど、事務所が儲かる。

前田敦子がグループを卒業するみたいだが、そのほうが事務所は儲かる。
本人も、そのほうが稼げると思う。
月収は今よりもUPするはずだ。


アイドルも貧困だが、売れないモデルも貧困である。
ファッション雑誌に出たり、CMに出るようなモデルの場合、名前が世に知られるまでは、とにかく、稼げない。
例えば、CMの場合、スポンサー→広告代理店→キャスティング事務所という経由で、各モデル事務所に声がかかる。
そして、オーディションに向かうわけだ。
オーディションによって選ばれると、そのギャラは「モデル価格」と言って、多くても数十万しか事務所に入らない。

一方、モデルでも、ドラマやバラエティー番組にも出るような、名の知れた存在になると、オーディションではなく、指名で仕事が入る。
こういう時のギャラは「タレント価格」と言って、基本的に、所属事務所の「言い値」が通る。
無論、「言い値」が高いと、広告代理店に判断された場合、「交渉」か「無かった事に」か、どっちかになる。


このように、モデルも指名で入るようになれば、大したものだが、それはモデルの中の、ごく少数である。
大半のモデルは、モデルのギャラだけでは生活できない。

モデルにせよ、売れないアイドルにせよ、かわいそうなのは、スタイルをキープしなければならない。
元がスレンダーな人たちなので2キロふとっただけで、腹がぷくっと出る。
だから、食事のコントロールと運動が必要になる。

高収入タレントは、ジムに通う金があるが、低収入なわけだから、ジムになど行けず、自宅でひたすら腹筋したり、体操したりしている。


このように考えると、アイドルであるとか、モデルであるとか、少しは共感してもらえるのではないか。
この人たちは、一般庶民に感覚が近い。

それにひきかえ、公務員やインフラ系企業(電力会社等)の腹立たしさよ。
既得権益にしがみついて、のほほんと暮らしやがって。
そんなものは、近いうちに崩れるからな、見てろよ。

というわけで、今後は、若干、親近感を持って、ファッション誌やテレビ番組を観れるのではないかと思います。
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前回の記事の続き。

「サトリ」という病(やまい)の人は、シンドイ。
このシンドさを、心理学用語で、「抑うつパラドクス」という。

「抑うつ」とは、ブルーな精神状態が継続する事であり、悪化すれば「うつ病」となる。

夫が浮気をしている。
でも、それに気づかぬ鈍感な妻のほうが、ある意味、幸福かも知れない。
ハッピーでいられる。

だが、洞察力があって、夫のちょっとした行動から、「浮気をしている」と気づいてしまう妻もいる。
この場合は、ブルーになる。
問い詰めて、夫が浮気を白状すれば、その日以降、抑うつ状態に入るだろう。


あるところに、幼い姉妹がいた。
両親は離婚し、二人とも、母親に引き取られていた。
離婚後、母親はヒステリーを起すようになった。
時には、殴るようになった。

ある日の真夜中、母親は酒を飲んで帰って来た。
姉妹は布団に入っていたが、目を覚ましていた。
リビングにいる母親は、独り言を言った。

「子どもなんて、作らなけりゃ良かったのに」

姉のほうは、その言葉の意味を理解できた。
妹のほうは、幼すぎて、意味を理解できなかった。

妹は、翌朝からも、普段どおりに母親と接した。
姉は、母親と接するのが苦痛になった。


正しい洞察力、判断力を持っている人間のほうが、抑うつ状態になりやすい。
これが「抑うつパラドクス」である。


政治家や高級官僚が自殺する事がある。
社長の右腕的存在が自殺する事がある。

これは、事実を知ってしまったが為、良心の呵責に耐えられず、死んでしまったケースが少なくないはずだ。

知らなければ笑っていられる。
知ってしまうと、正常ではいられない。


では、知らないほうが良いのか?

そんなことはない。
真実は知っていたほうが良い。

だが、問題は、真実に押しつぶされない事である。
真実に押しつぶされないようにする為の、魔法の言葉がある。
それは「こんなものさ」(あるいは「そんなものさ」)の六文字である。

世の中、こんなものさ。
人生、こんなものさ。

否定的な言葉に感じるかも知れないが、こういう考え方の出来ない人は、抑うつから抜け出す事が出来ない。


余談。

昔、ある飲み会があった。
ふつうの職場の歓迎会だ。
女が7~8人いたか。
男は、もっともっと大勢いた。

その中に一人、ホストのような容貌の男がいた。
女たちは、次第にそのホストのような男のそばに集まり始め、そのうち、女全員、そのホストを取り巻いた。
別に、そいつはホストとして、そこにいたわけじゃなく、新入職員だ。

俺はその飲み会に参加して、呆然としながら、隣のヤツと男同士で酒を飲んでいた。

俺はこう思うしかなかった。

「こんなものさ」
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以前にも、同じ記事を書いたかも知れないが。


かつて「サトラレ」という映画があった。
これは、自分の気持ちを、周囲の人々に悟られてしまう、という病(やまい)の人を描いた物語だ。
自分の思っている事を、口に出していないのに、悟られてしまう。
やっかいだ。

だが、逆も考えられるよな。
「サトリ」だ。
他人の考えている事を、悟ってしまう。
これもキツイと思う。

若い頃は、よく人に騙される。
これは、他人の考えを悟る能力が未熟だからだ。
様々な知識が不足しているし、相手の人柄を見抜く力も弱い。

だが、年齢と共に、騙されなくなって行く。
あくまでも通常はな。
通常は、だんだんと、悟る能力が育って行く。

年齢を二倍すると、平均年齢以上を軽く上回ってしまうくらい、俺も生きて来たが、ここまで来ると、ある程度は悟ってしまうんだ。
気づいちゃうんだな。

これ、つらいぞ。
本当につらいぞ。

他人の気持ちって、ある程度、誤解していたほうが、自身の精神衛生上、良い場合がある。

例えば、虐待を受けている子どもというのは、客観的には愛情のかけらも無い親であっても、「お母さん(お父さん)は自分の事を愛してくれている」と思い込んでいるものだ。
じゃないと、生きられない。

相手の気持ちがわかってしまう事で、傷つきやすくなったり、バカバカしくなる。
生きているのがくだらなく思えるくらい、バカバカしい気持ちになる。

例えば、小学校低学年までは、女の子って、ほとんど自分の容姿を気にせずに過ごせるよな。
ところが、そこから年々、「容姿による影響」が人生を大きく揺るがすようになる。

美人と不美人では、結婚はもちろん、就職だって、犯罪した時の量刑だって、大きく差がつく。
そのことに気がつくと、「美人」のほうはガッツポーズだろうが、「不美人」のほうは、死にたくなる。

ところが、その「美人」も、高年齢化するに従い、男たちの態度が手の平を返したようになる。
まさに豹変する。
すると、やはり、死にたくなるかも知れない。

人間は、思った以上に単純な行動原理で動く。
決して、複雑なものじゃない。
どんな聖人君子的な発言をする人も、同じだ。
それが、だんだんとわかってくる。
すると、だんだん、人間が嫌になって来る。


言うなれば、「サトリ」という病は、たいていの人には、大なり小なり発症する。
だが、中には感受性が並外れた人がいて、若い頃から「サトリ」になっている。
こういう人が、心の病になったり、場合によっては、自殺しちゃったりするんだよな。

かつて小泉純一郎は「鈍感力が大事だ」と述べた。
彼は鈍感だからこそ、あんな強引な政治が出来たんだよな。
そして、今もケロッとしている。
小泉がもし、敏感だったら、多くの生霊にとり憑かれて死んでいてもおかしくない。


「サトリ」の処方箋は、薬物でも、アルコールでも、リストカットでもない。
「祈り」だ。
現世ばかり見てると、苦しくなる。
だから祈る。
次元を上にあげてやる。
異次元に心を持って行く。

無神論者には最大の難事だろうな。
だが、これしか解決の方法は無い。
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漫画「ドラえもん」の登場人物。

主人公のび太をいじめる、ガキ大将。

怒ったら、実際に人を殴る。
ちょっと、今の時代には合わないかも知れない。
今は、もう少し、陰湿なやり方をする。
「ドラえもん」の中のジャイアンは、「暴力的でわがままだが、実はいいやつ」という背景がある。
だが、無闇に人を殴ったり、人のものを奪い取る者が、いいやつなわけがない。

ジャイアン的な人物は、実は世の中にたくさんいる。
自己中心的。
異常に自分に自信がある。
優しさもあるが、偏っている。
声が大きく、自分が中心にいないと気が済まない。
根に持って、やられても必ず反撃する。

世にある、パワハラやDVは、こういう連中によって、もたらされる。


なぜ、こんな性格になってしまうのか?
俺の見るところ、幼少時の育ち方に原因がある事が多い。
だいたい、そういうヤツを育てた親もまた、同様な人格なのだ。
例えば、親が暴力団員。
親の生き方を真似るから、自分もそういう人格に育つ。

これは病気ではなく、人格だから、なかなか治らない。
治らないどころか、悪化する傾向がある。
「自分は正しい」という思いが強い人たちだから。
反省しない。
だから、ますます、頑固になる。
素直さが失われる。
ジャイアン性が増す。

一時、反省するかのようなそぶりを見せても、一時に過ぎない。

だからこれは病気ではない。
人格障害である。
この人格障害を、俺は「ジャイアン性人格障害」と命名した。


「ジャイアン性人格障害」者には、関わらぬのが一番。
最悪、関わらざるを得ない場合でも、極力、距離を置く。
近くによれば、必ず、被害を受ける。


この「ジャイアン性人格障害」と思われる人物。

ハマコー。
石原東京都知事。
「ロックンロール」と言いながら杖を振る爺さん。
ワタミ。
読売のドン。
北朝の金君なども、たぶん、そうだ。

注意しよう。
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夏の渚でなくなった、
おもちゃの舟は、あの舟は、
おもちゃの島へかえったの。
  月のひかりのふるなかを、
  なんきん玉の渚まで。

いつか、ゆびきりしたけれど、
あれきり逢わぬ豊ちゃんは、
そらのおくにへかえったの。
  蓮華のはなのふるなかを、
  天童たちにまもられて。

そして、ゆうべの、トランプの、
おひげのこわい王さまは、
トランプのお国へかえったの。
  ちらちら雪のふるなかを、
  おくにの兵士にまもられて。

失くなったものはみんなみんな、
元のお家へかえるのよ。
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昔、イスラエルにコムイという長老がいた。
若い頃より、商売の術を覚え、大金を得て、やがて広大な土地を所有した。
現在は商売を引退し、子どもも独立した事とあって、老夫婦二人でこの土地でのんびり暮らしていた。
土地の北側は丘で、南側は平野だった。

ある日、アシュエルという男が来て、畑を作って生活したいので、南側の平野を借りたいと言った。
コムイは、アシュエルから、毎年、一定の地代を受け取る約束で土地を貸した。

南側の平野は日当たりの良い、肥沃な大地で、作物はどんどん実った。
アシュエルの生活はコムイ以上に豊かになるほどだった。

数年後、ヨシュエルという男が来て、やはり、畑を作って生活したいので、北側の丘を借りたいと言って来た。
コムイは、アシュエルと同額の地代を払ってもらう約束で、土地を貸した。
コムイ夫妻はこの土地を離れ、隣村に、小さな家を借りて住んだ。
住まいは小さくなり、せっかく買った土地を自分で使えなくなったが、その分、二人の小作からの地代で、幾分、ぜいたくに暮らせるようになった。

北側の丘は日当たりが悪く、土地の栄養分もすべて南側の平野へと流れてしまい、おまけに土の下が岩だらけで、作物がなかなか実らなかった。


アシュエルの耕す南側の平野は、どんどん作物がたくさん実るようになり、資産を増やして行った。
時々、収穫した作物をコムイに分けた。
コムイは作物をもらい、礼を言いつつも、小作であるアシュエルのほうが裕福なのに、不満だった。

一方、ヨシュエルの耕す北側の丘は、耕しても耕しても石ばかりが出て、農作には適さなかった。
そればかりか、土地に亀裂が生じ、それが日に日に拡大して行った。
ヨシュエルは、土地代を払うのは精一杯で、作物をコムイに分ける余裕など、ほとんど無かった。
コムイはそんなヨシュエルを気の毒に思いつつ、自分が地主という、安定収入を得られる立場である事にほっとしていた。


アシュエルはずる賢く、傲慢な男なので、人々に嫌われていたが、収入の多さを武器に女を口説き、結婚し、一子を儲けた。
ヨシュエルは貧乏だったが、ヨシュエルの誠実な人柄を愛した女が現れ、結婚し、一子を儲けた。


アシュエルは性格がずる賢く、妻も子も、同様だった。

ヨシュエルは性格が善良で、やはり、妻も子も、同様だった。

アシュエルは、ヨシュエルが生活に困っても、「自己責任」と言って、決して助けなかった。
アシュエルの妻は、ヨシュエルの妻に対し、「甲斐性なしのクズ男とくっついたアホ女」と、日々、嘲笑した。
アシュエルの子は、ヨシュエルの子をいじめていた。


ある夜の事だった。
大きな地震が両方の土地を襲った。
北側の丘に、もともとあった亀裂が、大きく裂け、そこからマグマが吹き上げた。
南側の平野は、幾分、マグマの被害に遭ったが、マグマのほとんどが川に流れてしまったので、比較的無事だった。

翌朝、マグマがおさまると、まだ幼いヨシュエルの子が、土地の亀裂の状態を見に、一人で歩いて行った。
ヨシュエルと妻は、震災の衝撃に動揺していた為、それに気づかなかった。

妻は、昼を過ぎても子が帰らぬのを不信に思い、

「もしかして、あの子は亀裂を見に行ったのではないでしょうか?」

とヨシュエルに言い残して、探しに行った。

夕方になっても、子も妻も戻らぬのに不安をおぼえたヨシュエルは、亀裂のある所へと二人を探しに行った。
亀裂をのぞき込んで行くと、亀裂の内部に、子の履いていた小さなクツが片方だけ、転がっていた。
はっとしたヨシュエルは、そのあたりを見渡すと、結婚の時に、なけなしの金で妻に買って与えた髪飾りが、亀裂の内部にひっかかっていた。

おそらく、まず子が足をすべらせて亀裂の底に転落し、それに気づいた妻が、悲しみのあまり、後を追って自ら落下したのだろう。
ヨシュエルはあまりの現実の悲しさに、息をする事すら出来なかった。
もはや、生きる希望をすべて失ったと思ったヨシュエルは、その場にあった岩に、

「妻子はこの穴に落ちて死んでしまいました。私も後を追います。無念です。」

と文字を刻み、湯気立つ亀裂の底に、身を投げ入れた。


翌日、災害の様子を見に来たコムイは、岩の文字に気づき、大いなる衝撃を受けた。
落胆し、慟哭し、やがて怒りながら神に叫んだ。

「神よ。父なる神、ヤハウェよ。あなたはなぜ、彼らを見殺しになさったのか!」

神よ、神よと叫びながら、コムイが血が出るほどに、何度も岩を拳で叩きつけていると、それまで空をおおっていた雲間から陽光が差し、同時に天から声がして来た。

「コムイよ。」

「おお、これはヤハウェの神の声か!」

「そうだ。コムイ。」

「ああ、父なる神よ。」

天を見上げながら、コムイは打ち震えた。

「コムイ。おまえの言葉は私に届いた。さらに言いたき事があろう。」

コムイは、怒りに満ちて言った。

「神よ。私はこれまで信心に信心を重ねて来ました。ヨシュエルもそうです。
 なのに、なぜ、無信心なアシュエルがのうのうと生き延び、信心深いヨシュエルは死んでしまったのですか?
 ヨシュエルばかりではない。ヨッシュエルの妻子までも。
 なぜ、善良な者が損をし、ずる賢い者が徳をするのですか?
 いったい、神は何を見ておられるのですか?」

「聴け、コムイ。ヨシュエルは助かったのだ。妻も子も。そして、アシュエルは助からなかった。」

「それは逆ではないですか?」

「逆ではない。商人であったおまえならわかるだろう。
 一千万の金を借りて商売を始める。利益の中から、月々、十万円返済したとして、返済が完了するまで、いくらかかるか?」

「神よ。こんな時に、そんなざれ事を。」

「いいから答えよ。」

「まあ、一千万を月十万ずつですから、百ヶ月かかります。いや、利子もあるから百数十ヶ月はかかるでしょう。」

「そうだ。その百数十ヶ月は、贅沢など出来ない。つつましく生きて行くしかない。他の人よりも稼いだとしても、生活のレベルは他の人よりも落とさねばならない。」

「神よ。それがヨシュエルだと言うのですか?」

「その通りだ。だが、一千万の金を借りながら、返済せずにずっといたらどうなる?」

「ラクな暮らしは出来るでしょうが、借金は残り、さらに利子もどんどん増えて行ってしまいます。」

「その通りだ、コムイ。それが今のアシュエルなのだ。
 人を幸福にするお金のようなものが徳である。
 だが、すべての人が、最初から徳を持って生まれて来るわけではない。
 中には、他から徳を借りて生まれて来なければならぬ者もいる。」

「その理屈では、ヨシュエルが貧乏だったのはわかります。ですが、なぜ、このような残酷な最後を迎えねばならなかったのですか!」

コムイは絶叫する。
静かなる天の声は続く。

「コムイよ。古い布を両方から力を入れて引っ張ったら、どの部分が破れるか?」

「それは、弱い部分が破れるに決まっています。服だって、なんだってそうでしょう。」

「北側の丘と、南側の平野では、北側の丘のほうがもろかったのだ。柔軟な南側の平野に対し、北側の丘は岩盤におおわれていた。その岩盤が長い年月をかけて、少しずつ、砕けて行っていたのだ。鳥がつついただけでも崩れるほどに、この地盤は限界だった。
 自然という巨大な力の前では、人徳の多さなど、歯が立たない。」

「ならば神よ。なぜ神の全知全能なる力を持って、彼らを救ってあげなかったのですか!」

「よく聴け。神は決して全知全能ではない。ただ、人々を正しき方向へと導く存在である。
 そして神は、そこにもいる。あそこにもいる。どこにでも存在し、人々を教え導こうとしている。
 だが、神の力をもってしても、自然の脅威を防げるものではない。
 なぜならば、この世を作ったのは神ではない。
 我ら神々は、千年前、万年前の君たちの先祖である。
 私ら神々もまた、かつて人だったのだ。
 それが天地を創造しようはずがない。
 天地を創造したものは、まさに自然そのものである。
 創造主というものがあるとすれば、それは自然現象に他ならない。」

 「ではなぜ、あなたは“全知全能の神”と呼ばれるのですか?」

 「勝手に、そのような意義付けをしたのは君たちである。
 そして、“神は唯一”と勝手に決めているのも君たちだ。
 人間同士がそれぞれの“唯一の神”をかかげて、争っている。
 なんて愚かなのだ。
 我ら神々は、無数に存在し、常に君たちのそばにあって、寄り添い、共に悩み、憂うという存在なのだ。
 コムイよ。恐ろしい事に、人間が無事、生存できるような自然環境のほうが、大宇宙ではマレなのだ。
 まるで秋風により、偶然、枯れ枝が積み上がった山の上で、人は暮らしているようなものなのだ。
 そして、それはいつ崩れてもおかしくない。
 我ら神々はそれを知らせるのが目的であり、役割なのだ。」

コムイは失望し、その場を立ち、離れようとした。

「待て、コムイよ。自然災害から人を護る力を持たぬからと言って、神を見放すかね?」

「ええ。何も出来ぬ神には、用などありません。」

「何も出来ぬとは誰が決めたのだ。正しく生きられるよう、我々は常に君たちのそばで語りかけている。
 そうだ。今、このようにして。
 その声を聴けるか、聴けぬかは、人々の信仰による。」

「ですが、私が神の声を耳にしたのは、今がはじめてです。」

「耳にしたと言うが、私は音声を用いて話をする事など出来ない。私は今、おまえの心に直接、語りかけているのだ。そして、このメッセージにおまえは気づく事が出来た。
 数日すれば、この私との会話は錯覚であったとおまえは思うだろう。
 自分の中で、勝手にくり広げた会話であると理解するだろう。
 だが、確かに今、私はおまえの意識の中に入り、語っている。
 どういう形であれ、それをおまえは受け止めている。
 それは今、おまえが生まれてはじめて、魂を込めて私を呼んだからだ。
 もし、この会話を錯覚として忘却する事がなければ、おまえには救いの道が用意される。」

「では神よ。ヨシュエルには語りかけてくださったのですか?もしそうならば、信仰のあつい彼が、なぜ、こんな悲惨な目にあったのでしょうか?」

「コムイ。無論、私は語りかけて来た。いつも、いつもだ。
 その中の幾分かは、彼に伝わった。
 だから、彼の性格は善良だった。
 だが、彼は、最も重要な私のメッセージを聴けなかったのだ。
 それは、“その場から去れ”というメッセージだった。
 大地は作物が成らず、しかも徐々に地割れが起きている。
 その現実だけでも、逃げるに充分だったのに、彼は土地に執着し、離れなかった。
 彼は最も大事な私のメッセージを受け止める事が出来なかった。」

沈黙するコムイ。
神の言葉は続く。

「コムイ。私に何もしなかったとおまえは言った。だが、何もしなかったのは、おまえのほうでは無いか?」

目を見開き、コムイは天を見上げる。

「農地としては使い物にならず、地割れまで起きているのを、おまえは知っていた。
 ならば、なぜヨシュエルに出て行くように勧めなかったのか?
 また、なぜ、作物がほとんど実っていないにも限らず、おまえはヨシュエルから毎年、欠かさず地代を取っていたのか?
 あろうことに、南側の平野のアシュエルと同額の地代を。」

恐怖に震えるコムイ。

「自分さえ良ければそれで良いと、自分の既得権益にしがみつき、内心でヨシュエルを馬鹿にしながら、おまえは地代を巻き上げていたのではないか?
 これで少しはぜいたくをしながら、夫婦二人で老後を暮らせると、安心していたのではないか?
 おまえは資産という徳を積んで来た。だが、魂の徳は失って来たのだ。
 安心せよ。
 善良なヨシュエルとその家族は、今、天に召されている。
 だが、アシュエルとその家族、そしておまえには地獄が待っているだろう。」

コムイはおびえ、天に向かい、

「神よ、父なる神よ。ヤハウェよ。どうすれば、私はどうすれば・・・」

言葉は返らなかった。
空はふたたび雲でおおいつくされた。



作・桑田義雄
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人は自分の力で生きていると思っている。
だが、自分の力だけで生きているわけではない。

パイロットが操縦し損なえば、飛行機は墜落する。
床屋が慎重にカミソリを使わないと、カミソリがノドを破る。

通常は、そんな事はなかなか起こらないが、脳溢血だってある。気がふれる事だってある。


間一髪、車にはねられなかった事もあるだろう。
間一髪、火事を逃れた事もあるだろう。

その時、ほんのちょっと、何かが間に合わなければ、ここに命は無かったかも知れない。


自分の努力はもちろんあるだろう。
だが、もし、交通事故に遭っていれば、もし、病気になっていたら、もし、失業していたら、その努力は報われただろうか?

自分の努力が努力として報われるためには、数々の危機を乗り越えねばならない。
あらゆる偶然の力が、働かねばならない。

それらを無視し、自分の力を過大評価してはいないか?


今、安泰であるのは、自分の想像もつかぬ所で、さまざまな事柄によって助けられているのかも知れない。

居眠り運転している人の車が、今、ぶつかろうとしている所を、たまたま、その人の携帯電話が鳴って、目を覚まし、ハンドルを握り直したのかも知れない。

夜道で強姦しようと後ろから男がついて来ている所を、たまたま、パトカーが通り過ぎて、諦めて帰ったのかも知れない。

それらの偶然は、何によって起こっているのかはわからない。
だが、ラッキーな人とは、そういう偶然に、たくさん、助けられている。
不運な人は、悪いほうにばかり、偶然が働く。


愛する人が事故で死ぬのを、努力で防げるのかな?

ウィルスに感染するのを努力で止められるのかな?


努力でどうにもならぬ偶然を呼び寄せるためには、現在への感謝しかないように思うが、どうだろうか?

それは、現体制や現秩序への肯定というものではない。
間違ったものは、間違ったものとして、訂正、修正しなければならない。
実際、世の中には間違っている事が多いのだから。

だが、今、ここにこうして、無事、生きている事に対し、「ああ、自分はギリギリだが護られている」という感謝をする。
もし、その感謝を失ったら、その「ギリギリ」の状態からも、転落するのではないかな?
そんな恐怖感が、大切なんじゃないか?


物事が複雑に絡み合っているという事を、釈迦は「縁起」と言った。
だから、縁起が良いと幸せになり、縁食が悪いと不幸になる。

縁起を良くするには、どうしたら良いかな?
それは感謝ではないかと思う。
今、地獄に転落するギリギリの所で、生きている事を感謝する事だと思う。

特定の何かを拝みなさい、という事ではなく、そうやって、自分を助けてくれる「良い縁起」に対し、手を合わせて行くのが大事なのだろうと思う。

そして、今、こうして働いている道が、偶然の積み重ねによる恩恵だと思うならば、もっと大切に、日々を生きられるだろう。




桑田のつぶやき↓
https://twitter.com/#!/kuwatayoshio
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お家の軒にも花が散る。
丘のうへでも花が散る。
日本中に花が散る。

日本中に散る花を
あつめて海へ浮かべましょ。

そして静かなくれ方に、
赤いお船でぎいちらこ
色とりどりの花びらの
お花の波にゆすられて
とほい沖までまゐりましょ。
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