真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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本年、最後の記事です。

このブログを読んでくれた皆様、今年一年、ありがとうございました。

今年、俺が一番、痛感した事は、「心をコントロールしない」という事です。

よく、ポジティブシンキングというものがあります。
ジョセフ・マーフィーや、ロバート・シュラーによって有名になった、ニューソートという思想では、ポジティブシンキングの重要性を説きます。
「夢は必ず実現する」と思い続ければ、潜在意識の法則によって実現する。
反対に、「実現するはずないさ」と、少しでも思ってしまうと、実現しない。
こういう事を主張するわけです。

ニューソートはアメリカにおいて、キリスト教と一体の思想として、民衆に広まりました。
ところが、そのアメリカの現状はどうでしょうか?
リーマンショック以降、経済的に行き詰まっています。
失業率が高く、都会にホームレスが徘徊しています。

日本でも、ニューソートは伝播し、「ポジティブ教」とでも言えるようなものが、大衆に定着しています。
ところが、やはり状況は、アメリカと同様です。
そして3・11の大震災。

俺はポジティブ教の空しさを、今年ほど痛切に実感した年はありません。


「ポジティブに考えるならば、潜在意識の法則により、必ず願いは叶う」なんて事を信じてしまうと、かえってすべき努力をしなくなり、足元を救われてしまいます。

人生を切り開く鍵は、具体的な策を練り、具体的に行動する以外にはありません。


原子力発電所に対する安全神話は、まさにポジティブ病です。
ポジティブに考える事で、現実の危機に対し、目をふさいでしまうのです。
我々国民も、「国も電力会社も賢いので、絶対にミスするわけがない」と、何の根拠もなく思い込んで来たのです。
微塵も疑問を持たずに・・・
そのポジティブシンキングは、実現したでしょうか?
潜在意識の法則は、どこに行ったのでしょうか?

津波に対しても、我々はあまりにも楽観視して来た。
その楽観思考(ポジティブシンキング)は実現したでしょうか?
むしろ、裏目に出たのです。

我々は、ポジティブシンキングによって盲目になるよりも、危機管理する事のほうが重要なのです。
最悪の状態を常に考え、対策を打っておく事のほうが大事なのです。


「悪い予感」というものがあります。
人間には、正常性バイアスというものがあり、自分の今の現状を「安全である」と思い込もうとします。
誰にでもある心理的メカニズムです。

でありながら、悪い予感がする、というのは、ただ事ではない何かが生じつつある、と考えたほうが良いのです。
「悪い予感」には根拠がある。
でも人は、正常性バイアスによって、その根拠を考えようとしないのです。
だから、「なんとなく不安」としか、受け止める事が出来ない。

そういう時は、紙とえんぴつを用意して、「自分は今、なぜ不安なのか?」という事を書いてみるのです。

1.何に対し不安なのか?
2.不安の根拠は何か?

この2点を書くのです。
そうすると、見えなかったものが見えて来ます。
次に、2の「不安の根拠」について、調べてみるのです。
ネットで検索したり、mixiや2ちゃんねるなどの、コミュニティーサイトで質問を投げかけてみるのです。
あるいは、行政機関やNPO法人等に問い合わせる。
すると、何らかの情報が得られます。

自分が戦国時代の武将だと思えばいいのです。
この世を戦場だと思えばいいのです。
すると、ポジティブシンキングという宗教に頼る事の危険性がわかるはずです。
戦(いくさ)に勝つには、具体的な戦略以外には無いのです。


ポジティブシンキングのデメリットはもう一つあります。
マイナス思考を無理にプラス思考にする事です。
マイナス思考が良い、というわけではありませんが、マイナス思考にはマイナス思考になる意味があるのです。
マイナス思考も、心理的に必要な現象なのです。

例えば、その場所に行くと、自分が危険な目に遭う、と思えば、当然、マイナス思考になるでしょう。
マイナス思考になる、というのは、心理的な黄色信号、ないし、赤信号が出ている、という事です。
この時、自分のこれから進もうとしている道が、正しいかどうか、もう一度、検討してみる必要があるのです。

それなのに、無理にプラス思考に切り替えると、どうなるか?
その警鐘をキャッチする事が出来ないのです。
安全運転のドライバーは、マイナス思考を上手に使っています。
プラス思考で運転すると、かえって危険なのです。

そればかりではなく、無理なプラス思考は心に無理がかかりますので、心は徐々に疲れて行きます。
運良く、願いが叶えば良いのですが、もし、願いが叶わなければ、大きな挫折感が生まれ、その時にうつ病等の精神疾患が生ずるわけです。

心というのは、出来るだけ、自然にしておいたほうが良いのです。
悲しい時は悲しいまま。
悔しい時は悔しいまま。
そのままで良いのです。
この感情を、肯定する必要も、否定する必要も無いのです。

嫌いな人がいたら、嫌いで良いのです。
嫌い、というのは、何らかの根拠があるのです。
もしかしたら、自分の心の底の部分で、その人に「危険性」を感じているのかも知れません。
だから、嫌いなのかも知れません。
これも心理的な赤信号です。
ですから、「嫌い」という感じ方を否定しない事です。
無理に好きになろうとするのは、かえって危険だと思います。
これは人に限らず、万事にわたってそうです。

歯医者に行くのは誰だって嫌です。
だから、歯磨きするのです。
逆に、歯医者が好きになっては困るのです。

心、感情は、風に流れる雲のように、自然にしておくほうが良いのです。
いつかは、消え去ります。

問題なのは、悪い意味で「執念」を持ってしまう事です。
意地になって、恨み続けるような事です。
恨み続けるのが自分の仕事のような感覚です。
これも、自然とは逆行します。
自然に恨むならば仕方ないが、恨みが消えて行く時は、消えて行くに任せたほうが良いのです。


人は、深い挫折感を味わった時、心が凍りつくような、こわばるような状態になる事があります。
まったく、心に流動性が無くなる。
自分が何を考えているのさえ、わからなくなる。
こういう時は、自分なりの神仏(観音さまでもイエスさまでも良い)を思い浮かべ、じっと手を合わせるのです。
じっと、じっと、そのままにしていると、心はじわっと溶けて行きます。

心のこわばり方が激しい人は、一回やっただけでは、そうなりません。
毎日、毎日、そうやって神仏に向かい合って行くと、いつか、バターが溶けるように、心の中でじわっと何かが溶けて行きます。
その時に、どっと涙が流れて来ます。
そこから、心は動き出します。


これが今年、俺がずっと思っていた事です。
ご参考になりましたら幸いです。


それではまた来年。

mixiのマイミクのみなさん、Twitterのフォロワーのみなさん。
合わせて、この場でご挨拶申し上げます。

今年はありがとうございました。
良いお年を。
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年末になると、「今年亡くなった芸能人」という特集を目にする。

俺は、これらの芸能人が死んだ気がしない。
芸能人というのは、死なないのである。


キャンディーズのスーちゃんは、「夏目雅子さんのように、私も復活したい」との言葉を残して死んだ。

一瞬、誰もが何を言ってるんだ?と思うだろう。

これは、肉体がよみがえるという意味じゃない。
人々の中に、永遠の記憶として焼きつく、という意味だ。

我々の世代以上の日本人には、夏目雅子という女優は、強烈な印象を持って、心の中に焼きついている。

キャンディーズのスーちゃんだって、思い出そうとすれば、瞬時に思い出す事が出来る。

もう、あなたは、もう復活しているんだよ、スーちゃん。


目を閉じれば、いつでも思い出す。
だったら、その人は、死んでないのだ。

芸能人は、人々の記憶に焼きついている。
だから、芸能人は死なないのだ。
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誰も興味の無い話題を一つ。


保守主義とは、伝統主義の事である。
長い歴史の中で、生き残って来たものほど価値があるという考え方。
伝統文化に固執し、急激な変革を望まない。

「保守主義者」と聞くと、安倍晋三のような民族主義者・自由主義経済論者をイメージする人が多いと思う。
だが、厳密に言えば、「保守主義者=民族主義者」のように固定概念化できるものではない。
伝統文化の中の何を良しとし、何を悪しとするかによって、バラバラになる。
「保守主義者」であっても、立場はバラバラになるのだ。

例えば、幕末で言えば、佐幕派も討幕派も共に保守主義者であったと思う。
両方とも、伝統を重んじようとした。
佐幕派は三百年持続した徳川による幕藩体制という伝統を重んじようとした。
討幕派は千年以上続いた天皇家を中心に据えようとした。


共産主義は「革新主義者」と呼ばれる。
これは「保守主義者」に対立させられている。
この時の「保守主義者」とは、「資本主義」の事である。

ところが、資本主義の歴史よりも、共産主義の歴史のほうが長い。
共産主義とは、もともとは、財産を共有する、という意味である。
原始人は、猿のように、食料を分かち合っていたに違いないので、もとは共産主義だったのだ。


ちなみに、社会主義と共産主義の関係だが、社会主義とは、「社会全体が幸福にならずして、個人の幸福など、ありえようか?」という考え方である。
「みんなで仲良く、一緒に幸せになりましょう」という思想だ。
つまり、平等を目指す。
経済的な差別のみならず、男女差別や、部落差別なども含む。

共産主義とは、「資産」「財産」に限定したイデオロギーである。
「資産」「財産」を私有化せず、国有化する事で、あるいは、所得に上限を定める事で、格差を無くす。
通常は、社会主義の中に、共産主義を含有する。


共産主義体制になると、すべての企業は国有化されるので、企業間の競争が無くなる。
これまでの文明の発展は、企業間の競争によって、もたらされた。
だから、共産主義の導入はあせってはならず、ある程度、文明が進歩し、人々の生活が困らなくなってから導入する、という形が望ましいと言われている。
これを「資本主義が爛熟した後、共産主義になる」などという言われ方をされる。


たとえば、AKB48(アクセスアップの為に、このネタを多用しているわけでは断じてないぞ)は、競争によってメンバーの入れ替えを行うが、ある程度したら、人気のあるメンバーというのがハッキリとわかって来る。
テレビの番組出演なども、その人が中心になるようになる。

だったら、いっその事、競争をやめて、「なんとかモーニング娘」のように、人気メンバーを固定しちゃったほうがいいのではないか?
そのほうが、安定感が出て来るのではないか?
このような考え方である。


だから、いざ共産主義に突入するにあたっては、長い歴史の中で生き残って来た製品、商品、サービスだけを残すのだ。
つまり、共産主義の底辺には、「保守」という考え方がある。

こんな話、何を言ってるのかわからん、というのがふつうなので、ご心配なく。
社会人でも、5回は読まないと、わからんと思う。
とりあえず、世の中の何かの役に立てるために、書き残しているだけだ。
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テレビで、北朝鮮に関する、こんな映像が流れていた。

ねずみ色のボロボロの服を着、顔が黒く汚れている若い女が、畑の中に立っていた。
23歳で、父も母も亡くなってしまったそうだ。

インタビュアーが質問する。


「何を食べているの?」

「何も食べていません」


「どこに住んでいるの?」

「住む所がありません」


そう答え、女は畑の中を、食べ物を探して歩いた。

ナレーションが「この女性も五ヵ月後、遺体で発見された」と流れた。


韓国でアンケート(どのようなアンケートか詳細は知らないが)を取った。
韓国政府が金正日に哀悼の意を表するのに賛成かどうか?
半数以上が「賛成」だった。

国際関係を考えれば、それが妥当なのかも知れない。
けれども、それが本当の韓国人の「感情」なのか?

大勢の国民を餓死させ、自分とその一族だけがブクブクと太る。
核ミサイルで脅して、外国に援助をたかり、麻薬を作って海外に売る。
そんなマフィアのような男。

そんな男に「哀悼の意」など、本当に表したいと思うのか?


同一民族でも何でも無い俺ですら、北朝鮮政府に潜り込んでテロでも仕掛けたいと感じるほどなのに、韓国人は何も思わないのか?
「民族統一」など、対外的なキレイ事であり、本当は、国境の向こう側など、知らぬ存ぜぬなのではないか?
北朝鮮の人の面倒など、見たくないというのが正直な気持ちなのではないか?
だから、何事も起こって欲しくない。
金政権が維持され、今のまま、何事も起こらないほうが良いと。


金正日は、今頃、地獄の猛火に焼かれているだろう。
地獄が存在するかしないかなんて、誰にもわかるものでもない。
死後の世界すら、あるかないかわからない。
死んだら無になるのかも知れない。

けれども、金正日の堕ちる地獄だけは存在する。
奴の魂だけは、今も地獄でうめき続けているだろう。
決して、許されるべき人物ではない。
死体に鞭打たれるべき人物である。


なぜ、北朝鮮は国家運営に失敗したのか?

国際関係とは、人間関係と同じ事である。
他国に好かれる国は、やって行ける。
他国に嫌われた国は、やって行けない。
資本主義とか、共産主義とか、そんな事は二の次である。

北朝鮮は社会主義だから失敗したのではない。
他国に嫌われたから失敗したのだ。
他国に嫌われた理由は、民主主義じゃないからだ。

民主主義とは、国民が話し合って、政治を進めるという事。
「国民主体」の略である。
「独裁」に対して「民主」がある。

社会主義であっても、国民の話し合いにより、社会主義をすれば良いのである。
みんなで「そうしよう」と合意して、社会主義になれば良い。
これを「社会民主主義」と言う。

誰かが強引に、独裁的に社会主義化を進めようとしても、上手く行くものではない。
もちろん、資本主義でも同様である。
それに北朝鮮は、社会主義でもない。
格差のある社会主義など無い(旧ソも中国も社会主義ではない)。


世界は民主主義を好む。
民主的な国家と、親しみたいと考える。
北朝鮮は、その点、親しみたい国ではなかった。
友達になりたい存在ではなかった。
ましてや、武器(核)をちらつかせて外交する国などと、どうして仲良くしたいなどと思えるか?
同一民族の韓国ですら、距離を感じる北朝鮮という国が、世界の仲間としてやって行けるわけが無い。


民放は揃って、金正恩への権力委譲が進んでいると語っている。
NHKは、軍部には金氏への反発感情があると伝えていた。
俺も、軍部の本心は、金氏打倒だと思うが、まだ金氏にコントロールされている。
日米韓が北朝鮮の民主化運動を、外部から支援する形を作らねばならないと思う。


このまま放っておく事が人道的なのか?
金氏に、これまでのような独裁体制を許しても良いのか?

よくよく、考えたほうが良いと思う。

俺は、「何も食べていません」「住む所がありません」と答えた、あの黒く染まった顔が忘れられない。

どんなに貧困でも、あれほど貧困な二十代の女は、日本には居るまい。
今日も、日本の女は「メリークリスマス!」と街で叫んでいる。
それ自体が悪いのではない。
自分達の世界しか目に入らないのが悪いのだ。
今、この瞬間、色んな苦悩を負った人がいる事に、微塵も思いが行かぬ事が問題なのだ。


本当の社会主義とは、「自分さえ良ければそれで良い」という考えを脱却するという思想である。
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真実は人を幸福にするか?
真実は人を幸福にするか?


「急がば回れ」という言葉がある。
直進しようと思って、トンネルを掘るよりも、迂回したほうが早い。

「学問に王道なし」とも言う。
この場合の王道とは、「近道」という意味である。


昨日、NTTのスマートフォンで障害があった。
メールアドレスが勝手に他人のものと、入れ替わるらしい。
とても、恐ろしい状況である。

俺は利便性を極力追及しないようにしている。
便利なものには、必ず、「落とし穴」があるからだ。
昔の方法が、優れているというわけではない。
新しい方法に馴れる時間や、精神的労力を、勿体無いと感じるからだ。

このPCでさえ、日々、何らかのトラブルが生じ、イライラさせられている。

確かに、黒電話の時代は、ちょっと不自由を感じていたが、留守電が出来て以降、不自由さは無くなったと思う。
逆に、ポケベルが出て来て、そして、携帯電話が出来た。
これで、人はいつでも、誰かに縛られるようになってしまった。
かえって不自由になったのではないか。

その上、スマホなどを持ち歩けば、今度は、インターネットに縛られるようになる。
それで仕事に集中が出来るのか?
出来るわけが無い!

だから、スマホには、一切、手を出さぬと決めていた。
そんな俺としては、昨日の騒動は「してやったり」感がある。
別に、俺が「した」わけではないが。


俺は大体、持ち物を変えるのが好きではない。
例えば、自動車(今は所有してないが)を変えるという行為、一つでも、トラブルの原因となる。
車幅感覚が変わってしまうだろう。
車幅感覚が無いと、事故になる。

だから、俺の生活環境は、ほとんど変化しない。
食い物でも、何でも変化しない。
今の食生活で、さほど不自由していないわけだから、新しい食文化に触れる必要性が無い。
新しいものを口にして、食中毒になったり、まずくて損した気分になるリスクのほうを嫌う。


化石燃料に代わるものとして、原発というものを、ほぼ、アメリカの押し付けによって、我々は導入した。
「金もかからず、危険性も少ない」と。
ところが、どっこい、こんな状況だ。
(「ところが、どっこい」という言葉の響きのダサさよ)

文明が発達し、多くの電力量の需要が生じ、仕方なく、原発を導入した。

東京上空を飛行機から見下ろすと、光輝いている。
東京ばかりではない。
南関東全体が、昼のように光っている。

衛星写真で、夜の地球を写すと、日本だけが、異様に輝いている。

これは、日本の電気の使用量が、突出しているという事だ。

俺たちは、もう、新しいもの、目新しいもの、便利なものを追いかけるというのを止めてはどうか?

市場競争社会だからしょうがない、というのは現実だろう。
だから、健康食品が、次から次に出て来る。
「裏づけ」も無いのに。
化粧品もだ。
健康食品、化粧品などのCMには、いい加減、ウンザリしないか?


おやつというものも、本当においしいものは、俺の子供時代(昭和50年代まで)にすべて出揃ったような気がする。
それ以降のおやつは、全部、焼き直しだろう。


文明とか、利便性の追求をとりあえずストップし、他の事にエネルギーを費やしてはどうか?
一番、大切なのは、「他人と分かち合う」という事だ。

「奪い合えば足りぬ。分かち合えば余る」だ。

電力も、分かち合えば、きっと余る。
そして、きっとその時が来れば、天は良い知恵を授けてくださる。
「ヒラメキ」がやって来る。
その時まで、無理をしないで、抑制して行けば良い。


みんな、前を向いている。
前に、前に、新しいものを求めている。
だが、人生は有限なのだ。
連日、人は死んでいる。

実は、今、自分がすでに持っているものこそ、大事なものなのだ。
それは何か?


夫は仕事を追求する。
今日も仕事、明日も仕事。
妻よりも、仕事を優先する男もいる。

俺は、おそらく妻(いないけど)の為なら仕事も放棄するに違いないから、まったく理解し難いが、確かに、そんな男もいるようだ。
仕事、仕事と言って、妻の顔もロクに見ないうちに、妻が買い物の途中で交通事故で死んだら、どうするのだろう?

その時、

「一番、大切なものが、一番、そばにあった。それに俺は気づかなかった・・・」

と嘆いても遅いのだ。
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今年、芸能界で一番大爆発したのは、やはりAKB48だと思う。
俺も5人は顔と名前が一致している。
色んな意味で、済まない。

誰でも、嫌でもテレビでAKBのステージを観た事があるだろうが、物凄いエネルギッシュだ。

AKB48は芸能界総がかりの企画なので完成度が高いのは当然なのだが、彼女らを真剣にさせているのは「脱落」の恐怖からだ。
熾烈な競争社会なのだ。
(競争社会を肯定しているわけではない。俺は社会主義者だからな。だが、どんな時代になっても、芸能界とスポーツ界だけは競争を排除できないだろう。)

2005年、AKB48は24名でスタートしたが、2011年12月現在も継続してに在籍するのは板野友美、小嶋陽菜、高橋みなみ、平嶋夏海、前田敦子、峯岸みなみの6名のみ(Wikiより)。
4分の1しか残っていない。75%はもう居ないのだ。

アイドルはみんなそうだが、線香花火に近い。
出来るだけ、玉を落とさないように粘るが、やがてポトリと落ちる。
だが、やがて落ちるからこそ、美しい。
儚い美しさだ。
彼女らも、その自覚があり、だからこそ、必死に歌うわけだ。

グループ脱退以降、突出した実力があればピンのタレントとして生き残るだろうが、そんなのは極めて少数だ。
多くはふつうの若い女性に戻る。
中途半端に芸能界に席を置く事も可能だが、そうなると、かえって食って行けない、厳しい状況になる。

AKBは若いから、辞めたら大学にでも入ればいいと思うかも知れないが、AKBを辞める頃には、大卒者くらいの年齢になってしまっている。

こういう事を考えると、なんて悲痛な世界なのかと思うはずだ。
そうだ。
芸能界は、公務員の世界とか、大企業とは対極にある世界。
公務員、大企業正社員はめったにクビにならない。
ぬるい生活を送っている。

俺自身はかつて、芸能マネージャーをやっていて、AKBの源流となるような、小規模ライブを行うアイドルなども手がけていた。
それも親近感を沸かせる一因だ。
(その割に顔と名前がほとんど一致しないのだが)

それだけではない。
俺は、公務員とか、特殊法人とか、大手企業とか、不況なのに、そういう既得権益にあぐらをかいている連中が大嫌いである。
その反動として、線香花火のように踊っている娘達を見ると、清々しいものを感じる。

今年、AKB48が爆発したのは、多くの人が、俺と同じ感慨を持ったからだろうと思う。


なでしこジャパン(名前が嫌い)も今年、活躍したが、彼女らは、働きながら練習してたわけだ。
やはり、そういうところに好感を持つ。


広大なユーラシア大陸にあったチェルノブイリ。
遠くに、遠くに人々は逃げられたろうに、それでも奇形などの被害が見受けられる(因果関係がハッキリしているわけではない)。
日本という小さな国土で福島原発が爆発してしまった。
どの都道府県在住者であれ、被爆していない者などいない。

先日、政府は冷温停止を宣言した。
これから、さらに事故が起こる可能性もあるのに、宣言が早すぎる。

チェルノブイリは周囲の村を廃村とした。
そうした勇気のある決断も、日本には必要である。

政府も東電もとても信用できない。
今後、もし、とんでもない事態に陥ったら、AKBもなでしこジャパンも死んでしまうのだぞ。


クソのような社会だな。
既得権益を握っている者は、それを手放そうとしない。
野田内閣は官僚にコントロールされている。
消費税は金持ち優遇税制でしかない。
議員は定数削減もせず、公務員も給料を下げず、60歳でキッチリ共済年金が出る。
金持ち老人にまで、年金が支給される。
そんな金持ち老人が、年金が下がった、生活が苦しいと文句を言っている。

だから、その対極にあるものの一つの象徴として、輝く存在があった。
その輝きまで消してしまうような、最悪の状態に日本が陥らない事を願う。
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みんな、クリスマスになるとパーティーだ、デートだと楽しんでるよな。
クリスマスと言えばサンタさんだが、みんな、サンタさんの悲しみを考えた事があるか?

サンタさんは、いつでも、シングルクリスマスだ。

トナカイと一緒だから孤独じゃないって?
トナカイ・・・動物だぜ?

サンタさんは、クリスマスイブの夜が明けたら、一年中冬の国に帰って行く。
そしたら、もう、一年間、忘れ去られるんだぜ?

プレゼント、渡す事はあるけど、渡された事なんて、ないんだぜ。

たぶん、家族も居ない、ロンリーロンリーな独居老人だぜ。
しかも、死なない・・・

なあ、少しはサンタさんの事を考えてやろうよ。
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ぜひとも、以下の記事をお読み下さい。

志賀原発2号機差し止め訴訟~原発差し止めを認めた唯一の裁判~
http://www.takahashi-law.com/news/2011/04/2-7.html

この判決文は、今回の福島原発の事故を、まるで予知しているかのようです。


前回の記事で、「神や悪魔は人の心に住む」と書きました。
井戸謙一裁判長の心に神が宿り、この判決を出させたのでしょう。
井戸謙一さんの心に常に神が住んでいるという意味ではなく、この時、この瞬間において、神がメッセージを下した、という事なのです。

ところが、二審以降は原告側の敗訴になってしまったので、二審以降を担当した裁判官の心には、悪魔が宿ったという事になります。


日本は司法・立法・行政の三権分立であり、仮に立法府(政治)や行政機関に間違いがあっても、司法がしっかりしていれば国は道を誤らない、という事になっているのです。
ところが、この司法が我が国ではアテにならない、というのはジャーナリスト神保哲生の論ですが、その通りでしょう。

裁判官の心に神が宿っていないのです。


神、悪魔という事を、何も無理に宗教的に受け止める必要はありません。
困っている人を見て、「助けてあげよう」と思う瞬間は、神が宿ってるのです。
「無視しちゃえ」と思う瞬間は、悪魔が宿っているのです。
人間の心は、両方、宿っているものですが、どっちのほうが大きなスペースを占めているかが問題なのです。
神のスペースが広いか?
それとも、悪魔のスペースが広いか?

それは、日々の生き方によって、異なって来るわけです。
実在するかどうかアテにならぬ神ですが、日々、神に手を合わせている人は、やはり心の中の神(善意)のスペースが、徐々に広くなって行くのです。
自分の欲望に任せ、「神なんて」と馬鹿にしながら生きている人は、悪魔(悪意)に多くの居住の場所を与えてしまうのです。

だから、存在するかしないか、まったくわからぬ不確かである神仏であっても、それを信仰する事は意味のある事なんです。

仮に神が存在しなくても、それを信じぬく事で、自分の中の善意は育つのです。
それが信仰の意義なのです。


井戸謙一さんが何かを信仰していたかどうかはわかりません。
信仰しなくても、神が宿る事ももちろん、あります。
本人に聞けば、おそらく、単に論理的に判断しただけと答えるでしょう。

宗教的なものを一切、否定している人であっても、良識を持って生きる事は可能です。
ですが、無宗教的な良識には、かなりの根性が必要です。
人は欲望に流されやすいからです。

信仰を持っている人には、「お天道さまが見ている」という意識があります。
だから、害を成さないわけです。

ただし、カルト的な宗教も、もちろんあり、他人や自分を害する原因になる場合もあります。
だから、他者を交えず、特定教義を盲信せず、神仏と一対一の純朴な信仰を、俺は勧めているわけです。


とは言え、そういう事すら、受け容れられない人も多いです。
それは仕方無いです。
ただ、それでも、これだけは俺は言いたい。
それは、「因果応報」という事です。

悪い事をすれば、必ず報いを受ける、という事です。

善人でも、悲惨な亡くなり方をする人もおりますが、何らかの形で、その人は報われているはずだと、俺は信じております。

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神と悪魔には共通点がある。
人に気づかれないように働く。

だが、そこに気づかないと、幸福を逃し、災いを招く。

悪魔は小さな欲望を叶え、大きな災いを与える。

神は小さな欲望はほとんど叶えてくれない。だが、肝心要のギリギリのところで、最悪の事態から守ろうとされる。
ただし、人に信がなければ、神の警鐘をキャッチ出来ない。

神や悪魔は人の心に住む。

自分の心に神を住ませるか、悪魔を住ませるか?
日常の在り方が問われる。
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オラ達、庶民の為に、日々、働いてくださって、ありがとうございます。
頭の悪い、オラ達に代わり、難関公務員試験に突破した、優秀な頭脳を持つお役人様達が、日本を支えて下さっております。
お陰で、我々の日々の平和があります。
感謝、申し上げます。

野田総理が消費税増税を主張しております。
これは財務省の要請である事を、我々は良くわかっております。

日本経済の破綻を防ぐ為に、消費税は必要なのだというのはタテマエでございましょう?
本当は、現在の状態で、日本の財政を維持するには、公務員の賃金カットが必要だから、それを阻止するために消費税をUPなさりたいのでしょう?

野田さんも、自民党も消費税UPに同調するのは、国会議員の定数削減をしたくないからというのも、オラ達はわかっております。

オラ達は、確かに馬鹿ですが、そんなに物分りが悪くはありません。
もし、お役人様方が、「自分達の給与や賞与を削減したくないから、消費税を上げる」と言ってくだされば、オラ達も従います。
なぜなら、お役人の存在無くして、オラ達の生活は成り立たないからです。

オラ達は収入が低く、結婚すら、ままなりません。
ですから、オラ達の代わりに、優秀なお役人様が高収入を得、結婚し、子供を産んで少子化に歯止めをかけ、さらには、近場の温泉にも行けないオラ達の代わりに、お役人様に海外旅行に行って楽しんでいただく。
一杯250円の牛丼を二杯食うのが、せいぜいの贅沢であるオラ達に代わり、お役人の皆様には、レストランでおいしいものを食べていただく。
それがオラ達庶民の喜びです。

ですから、公務員報酬を下げたくないから、消費税を上げたいと、正直におっしゃってください。
同様に、野田総理も、国家公務員の定数削減が不可能だから、消費税を上げるのだとおっしゃってください。
だったら、オラ達は、お上の言う事に従います。

オラ達庶民は塩を舐めて生活しております。
二つ買いたいオニギリを一つで我慢します。
下着はダイソーで買います。
ですから、お役人様や議員の先生方には、オラ達庶民の分まで、贅沢していただきたいと、心の底から望んでおります。

オラ達は貧しく生きて、将来、孤独死しても、お役人様や議員先生には、たくさんの子孫に囲まれ、幸せな気持ちで大往生していただきたいと思います。

それがオラ達庶民、みんなの願いです。

どうか、正直に、消費税UPの理由を言ってください。
自分達公務員の生活水準を下げたくないからだと言ってください。

だったら、オラ達も、その要求を飲みます。


ただ、一つだけ。
生命保険セールスレディーに枕営業だけは要求しないでやってください。
彼女らは売春婦ではありません。


では、みなさまのご健勝をお祈り申し上げます。



      ◇


ポッドキャスト更新しました。
番外編もあります。
世の中や、人生に煮詰まり感を感じてらっしゃる方、聴いてみて下さい。
http://poyoyoken.seesaa.net/article/239674000.html
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