前回、祈りという分離

というのを書いたんですけど、

今度はそうではない祈りについて。

 

 

今回のコロナ騒動で、
予測が何もつかないし
自分ではどうしようもできないって言うのが
ひしひしと分かる状況に放り込まれまして。
 
 
それで、出て来るわ、出て来るわ
自分の中の、ごみやがらくたが
わんさかと……。
 
 
それに対面せざるを得ない状況で。
 
よたよたしながら
対面いたしまして。
 
ほんとに、ズタボロな時に
とても貴重な体験をさせて頂きました。
 
 

その時、ニュースで観る

見知らぬ国の全く見知らぬ人が
自分なの。
 
 
あなたの痛みは私の痛み
あなたの苦しみは私の苦しみ
あなたの悲しみは私の悲しみ
 
そうとしか感じられないの。
 
 
痛み・苦しみ・悲しみを感じて
よたよたしながら
何とか自分でそれを解いていく。
 
 
 
何年も前、
ああそうか、
この世の全ては同じ一つのものでできてるんだ
だから、愛以外にはなれないんだ
って感じたときと同じ。
 
 
祈りともいえない祈り。
 
ただ同じものとして
あなたが幸せで在りますように
あなたが平安でありますように
 
それ以外に思うことは出来ないから。
 
あなたも私もいないところで
祈りともいえない祈りはおこる。