クサイ香りには、すごく何かある。 | Live the life you love

Live the life you love

じぶんの人生を愛せる
そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



今日は、アロマの話ですお願い



パロサントがずっと臭かったんです。
それは、アロマを使い始めた頃から
もうずっと。。。


他のアロマは、最初少し苦手でも
だんだんイイにおいになったりとか
クサイながらもなんとなく、
それが植物の結晶であることは理解できる感じだったけど。


パロサントだけは、
ほんとうにもう
植物であることすら信じ難いほど
無機質にクサかった笑い泣き


だからずっと使っていなかったのだけど、
最近になって、妙に気になってきた。


キライすぎて、逆に。


クサイ香りって
見ないようにして蓋してる部分だったりする。

香りの印象が変わった頃には、
じぶんが受け入れないできた部分が
いつの間にか変わっていたりする。



こんなにくさい
パロサントの香りの印象が変わった時、
私にどんな変化があるんだろう???


なんか、それを見たくなってきて
パロサントとじぶんへの興味で
パロサントの臭さと
ちゃんと向き合ってみようと思った。


で、買っちまっただ・・・

パロサントが含まれた限定品
フィンカボタニカコレクション☆彡





ゲリーヤングがいちばん情熱を捧げた農場
エクアドルのフィンカボタニカ農場から届いた
4本の精油の特別な限定コレクション☆彡



インカメリッサ・パイオコテア・エクアドルイランイラン・パロサント


パロサント以外は、
このコレクションでしかゲットできない
超貴重品⭐️


今日は、パロサントのお話をしますねほっこり



2005年に初めてパロサントを蒸留し、
魅了された、ゲリー。
以来、パロサントは、
エクアドルの広大な自然の中から届いています。


まぁ、それがずっとクサすぎた訳ですが。汗


今回の限定コレクションがきっかけとなって
パロサントをもう一度
手に取ってみる気になったわけです。




届いてから・・・
まずパロサントを嗅ぎました。


やはり、クサイ・・・
決して、好きな香りではない・・・


それでも嗅ぎ続けてみました。


すると・・・


ほんの少しだけ・・・
これまでずっと
無機質に臭かっただけの
パロサントの香りに少しだけ
奥行きを感じました。


そして、こんな思いが
どこからか浮上してきました。



今まで無視してきて、ごめんね。



香りを嗅ぎながら涙したり
何かビジョンや思いが浮上したり・・・


香りは、果てしない記憶の
ほんの一片にまで
0.1秒で届くので、
こういうこともよくあるのです^ ^


そして、そこから何かが変わりましたねー


どんな時でも
じぶんでいることの覚悟が決まったというか。



どういうことかというと・・・


幼い頃から私は
周りの意向に添おうとすることが
多くありました。

友達が「わたしこっちが欲しいな」って言えば、そっちじゃない方を選んだし、
「これして遊ぼう」って言えば、
そんなに気乗りしなくても、そうしたし。
「これちょーだい」って言われれば、あげた。



そうこうしているうちに
私のキャラは、
そんな感じで定着したように思う。

周りにもかもしれないけど、
何よりじぶんの中で。



そしてますます、
それを良くも悪くも裏切れなくなり、
そこを打破するほどのパワーを行使しようともしなかったので


いつもどこか窮屈で、
本当は違うのになーと思いながら
幻想の私を生きる時間が多かった。


でもそれで都合がよかったんだよね。
モメないし、嫌われないし、
いつも誰かに仲間に入れてもらえる。



本当は、こんななのに
たくさんの人に馴染んでいくなんてできない
多少変わり者なのに・・・チュー



パロサントに話を戻すと。
結局パロサントのクサさは、
都合よく抑圧してきた
じぶんの「真」の部分なのかもしれないな。


ふとそんな風に感じた。



ちなみに、パロサントが
どんなオイルかというと・・・

スペイン語で
聖なる木、神木という意味の名前。

古くから神聖な儀式の中で使われてきた歴史がある。
木が瀕死の状態のときに
自らを守るために出される成分から抽出する。

枯木や倒れた枝からしか抽出できない
貴重な精油なのだ☆彡

だから、心身の癒やしにも
とても高い力を発揮する。


こんな素晴らしいオイルが
強烈にクサかったんですね、はい・・・にやり




そして、そんなパロサントを
拒絶でなくて、
なんとなく受け入れられた日に感じた変化とは
↓↓↓↓↓


幼いあの頃みたいに
じぶんでいられなくて、
本当はこんなじゃないのになーと思いながら
チガウわたしでそこに居る。

大人になってからも
そういう場面がたまにあって、
そんな時は、それが本当に心地悪くて。


でもそれを抱えてもなお、

エセの調和のメリットや
馴染んでいることの楽さや
ひっそりとしていることの得(非難されないとかね)を選んでしまうことがあった。




パロサントと対話した後、
なんかもーいーや!!!
どんな場面でも、わたしでいよう。
大丈夫だ!!!

自然と思えて、
前だったら超苦手ー💦あー疲れたー💦
と帰るハメになったであろう
そんな場面において



全く自然に。
みんなとヨガしたりしてる時みたいに
全く自然に。

そのままそのまま、
そこにいることができた。



案の定というかなんというか
わたしがわたしを解放すれば
ところどころ
周りが「はい?!」となる見解を述べたりしてしまうわけですが。笑


それでもその時
拒絶されたり、引かれたりする感じは
全然なかった。
むしろとても、居心地がよかった。


だいたい、閉ざして気取ってたって
その人たちに聞けば
最初からだいぶん怪しまれていた。笑


だったらなおさら。
なんのために閉ざすのやら分からない。
バレとるやんけ!!
アホらしい( ̄▽ ̄;)



わたしとパロサントのクサさとの向き合いは、
つまり・・・

抑圧していたものを解放し
潔くあきらめ、
じぶんでいることに腹をくくる。


宇宙へのそういう意思表示に
なったのではないか。



恐れていたようなことは
何も起こらなかったし、
みんなやさしかったし、面白かった。




じぶんに自由を許したら
ひとの自由も許せる。



パロサントよ、ありがとう。