こんにちは
元横綱日馬富士、引退相撲と断髪式がありましたね。
なんか、やっぱり泣けた。。
モンゴルから来て、横綱にまでなって…
その幕引きは、突然だっただけに、ファンとしては少し切なさが残る。
やっぱり好きだったな。このお相撲さん
…………………………
変化を受け入れる=人生の可能性を広げていくこと。その学び。
スペシャルレッスンは、ご受講の方と私との、双方の学びをシェアし合って、 気づき、学びを深めていきます。
その学びより、今回は、「変化」をどう受け止めていくのかということについて書いてみます
Nさん。
〈ご受講のきっかけ〉
長引く体調不良の原因が、自分の中にあることを感じるようになり、自分を見つめ直したいと思ったこと。
まず、この日の講座では、いつも「苦手」と感じることが、そう感じなかったそうなんです。
それは、ヨガのポーズ【前屈】やアロマの香り。
前屈のポーズを苦手と感じている方は、比較的多いのかな〜と思います。
苦手だという印象を持っていると、身体には力が入ります。
イヤだな〜という思い
なんとかいつもよりも・・・!!という気負い えいっという気合いのような力づくのエネルギー
などなど・・・ そのような思いや気負いは、より身体をかたくしていきます。
この時、どこに力が入っているかというと・・・
たいてい、首〜肩、肩~腕のあたりに、めっちゃ力が入っています
それは、手の指先を一生懸命に足先に届かせようとしたり、 おでこをスネにできるだけ近づけようとするから。
【前屈】手の先が足先に届かないといけないのだろうし、上半身が下半身にぴたーーーっとくっつかなければ、出来たことにはならない。
どこかにそんな思い込みがあるのかもしれません。
私はそんな風に出来ない。
そんな思い込みが、よけいに身体をかたくしてしまいます。
そうはいっても、ぴたーーーっとなってる前屈は、憧れますよね
しかし私も、最初からできた訳ではありませんし、その感覚は、毎日違います。
気持ち良く過ごせる時もあれば、ツラく感じる時もあります。
そのどちらであっても、いつもと同じポーズの深さで過ごす必要があるでしょうか???
あるいは、ツラく感じるときも、そうでないときと同じように、ぺたーーーっとする必要があるでしょうか???
変化について語ってる位なので、その答えはもちろん「NO」なのですが。
YES/NO の二択でもないのではないかと思います。
前屈の目的は、ぺたーーーっと出来るようになることではなくて、もっと違うところにあるんじゃないかと思っています
そのひとつは、頭を休めること。
おでこを下に向け、首の後ろを伸ばすことでそれは可能になる
更に、胸やお腹が下向きになることで、心も静かになります。
頭と心。つまり、マインドを静かにしていくのにとても良いということです。
頭が休まらない、いつも考え事をしてしまう。 気持ちがザワザワして落ち着かない。
そんな時や人は、【前屈】のポーズを取り入れてみることもおすすめです
こういうのも前屈のポーズの目的であるという前提に立つと、「苦手」だとかそういう概念すらなくなりませんか???
目的は、ぺたーーーじゃなくて、マインドを休めること。
そして、それにはもっと苦しくないやり方があって。
レッスンでは、アロマを使ったりして、それを実践的にお伝えしていくのですが、 写真だけお見せすると、こんな感じ。
ポイントは、
頭が楽であること。
肩が楽であること。
首〜背中にかけてが、ゆるやかにのびていること。
そして、ポーズをストレスなく維持できること。
もし、どこかに窮屈さ、痛みやツラさがあるのでしたら、何度でも修正してみます。
おでこの下にタオルを入れたりして、クッションの高さを足したり、手の位置を変えてみたり。。。。
こんなアレンジもできます。
これは、例えばイスに座って、机に突っ伏したりしてもできますよね
それで呼吸に意識を向けて静かにしてたら、それはヨガになるのではないかと思います。
人生から苦しみを取り除くことを、ポーズを通して学ぶ。
これは、もう何年も前にケン・ハラクマ先生がおっしゃっていた言葉なのですが、 妙にしっくりきて、私がこのお仕事するときの信念のようなものになっています。
そして、そのポーズに対する「苦しみを取り除く為の修正」や「もっと心地よさを増していく為の修正」は、
体や感じ方がいつも変化しているという前提に立たなければ、できない選択だと思います。
「私は前屈が苦手なんだ。」と信じていたNさんと、 こんな風なアプローチをしながら、心地の良い前屈を見出していきました。
苦手なことは、遠ざけてきたり、仕方なくしたり、苦手だという思い込みがあったと思います。
感じ方はその時々でいつも変化しているのかもしれないと思うことが出来ました。
すごく素敵な気づきだと思いませんか?
体も気持ちも、いつもいつも違う。
いつも同じでなければならないということはないし、 こうでなければ自分でないということもない。
いつもよりネガティブに感じる変化も、その逆も・・・
変化しているのが当たり前という前提に立てば、選択肢はずいぶん増える。
そして…人生においても、その選択肢は、
今もこれからも、過去に対してだって、ひとつじゃないから、安心してって思うのです
…………………………