ヨガと「私」② | Live the life you love

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そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



前回からの続きです虹


ヨガから学んだ「私」とは。





DVDで一人でヨガの練習を始めた当時、
確か子供は3才位で。


産後に職場復帰して、2年程経っていたと思います。
仕事も充実していました。



息子は、まだまだ手のかかる年齢でしたから、
それなりに育児も忙しかったのでしょうが、
当時は、その忙しい毎日こそが
私の張り合いでした。



仕事に出れば職場で、
仕事のない時間は家で、


どこにいたって、必要とされてる感じがして
忙しいってことは、私をとても安心させました。


もっと頑張ろう。
もっと出来る。
何とかなる。
無理してなんぼ。


自覚があったかどうかは別にして、
そのくらいに思っていたかもしれません。



毎朝のヨガを日課にしたのは、
身体のだるさ、疲れのとれない感じ
その心地悪さにほんの少し、危機感を抱いたからです。

加えて、朝の一人の時間が
いつの間にかちょっとした楽しみになっていました。


まず15~20分位、DVDをガイドにヨガをして、

コーヒーを飲みながらファッション雑誌を読むのも、この早朝にやってた位です、笑


そこからやり残しの前日の日報を仕上げて…



6時半。
そこから朝の家事や身じたく(自分と息子二人分)なのですが、


あ、将来の為に勉強もしたい!
とかって、通信教育も始めたりなんかして、
6時半までにやりたいことがどんどん増えてしまい(笑)

とうとう4時台に起き出すなんてことになった時期もありました(笑)



その代わり、夜は子供と一緒に寝るだけ。

布団に入ってから息子に読んでやってた絵本が、顔に落ちてくること数知れず(笑)


まぁ、お母さんはみんなそうですよね。
もっと忙しい方も多いですよね。




さて、そんな充実の毎日を送ってた頃、
連休を利用して受けた、人生最初のヨガインストラクター養成講座にて


いよいよ私は、「私」と出会うわけです。



あれ!?
今まで私が「私」と思ってた自分も、確かに私なんどけど、
もっと違うところに
いつも「私」はいたんだわにこキラキラ



そんな感じかな。。。



私はそれまで…気づいたらいつの間にか、


もっと頑張ろう。
もっと出来る。
何とかなる。
無理してなんぼ。


そんな風に“出来てる”私を「私」と認めていたんです。
逆に、それが“出来ていない”と必要とされなくなるんじゃないかという恐れ。



今思えば、マジで!?って事なんだけど、
私は当時、自信にあふれてて、自己評価は概ね高いんだと思っていました。


なぜか…


頑張ってたからです。
頑張って、あらゆる方法で、成果をあげられていると思っていたからです。

であるからこそ、職場においても“評価されている”と思えるほどやる必要があって、
その他人からの「評価」を通して、私は私にOKを出していた。





あの時、あの初めて生身のヨガに触れた時、
その事を肉体の感覚を通して感じてしまったんです。



あれ!?
今ここで、ヨガマットに寝転んでる私は、
これまで私が自分だと思っていた私の、
どれでもないな…




頑張っていてもいなくても
お母さんであってもなくても
良い評価をされててもそうでなくても



私は私なんだ。



この時感じた「私」というのは、
どうであれ、存在としてそこにいたんですよね。。


様々な学びを深めていくにつれて、
その時感じた「私」というのが、
きっと…


体、心、魂
という、古代のヨギ達が見出だした人間の存在の捉え方における
「魂」のところなんじゃないかと思う。




話が「魂」に至ったところで
さてここで、HIKARU先生の言葉を一部織り混ぜながら話をします乙女のトキメキ


私達は、多くの場合、
自らの存在を「体」と「心」とにより形成されていると、どこかで習ったり、聞いたりして自覚しています。

ここまでは、何となく納得しているでしょう。



ですが、古代のヨギ達は
体と心に加え、「魂」という領域があることを見出だし、弟子から弟子へと伝えてきました。


ヨガの目的は、
その「魂」の領域にまで意識が至ったところにあります。



体と心は、刻々と変化するものです。
一生のうち、1秒たりとも同じものはありません。

それはとても素晴らしいことでもありますが、
その変化に翻弄されてばかりいると、人生の目的を果たせません。

恐れや心配、怒りや悲しみがいつもついてまわります。

好ましい出来事に恵まれている時には、
あぁ、素晴らしい!!って思うのだけど、

ひとたび好ましくない状況におちいると、
もぅ最悪!!って、自己否定のループに入る。



体と心を整えることは、とても必要なこと。
更にヨガの教えでは、体と心の平穏を通して
更に「魂」の領域に意識が及ぶことを説いています。


体と心が刻々と変化するのに対して、
魂は「普遍」だからです。



風が吹こうが、雨が降ろうが
ほめられても、けなされても、
変わらない。
ずーーっと平和の光が灯ってる。


魂とは、そういう場所です。
そしてそれは、どこか遠くではなくて、
私たち一人一人の中に必ずあるんです。

※聞き取ったHIKARU先生の言葉を織り混ぜながら書いています。





というと、少し遠くにあるもののように感じられるかもしれません。
自分には関係ない、とすら思っていました。


でもきっと、あの時感じた
何かを出来ているという「条件つき」の自分とは違う「私」の存在が
「魂」の領域に少し触れた瞬間だったのだと思います。



頑張っていてもいなくても
お母さんであってもなくても
良い評価をされててもそうでなくても



私は私なんだ。




あの時、私の中に「私」を見つけたことで、
小さな何かが少しずつ変わり始めたのだと思います。
何よりも、私自身が自分を救い出していく始まりになったのだと思います。




そしてそれを、今はお伝えしていける機会をいただいています。



私自身、まだまだ練習の途中にあり、
ふと気がつくと
体調や感情や考えに翻弄されていたりします。


なので、自分に言い聞かせるように書いていますが

大切なことは、いつも変わらない「魂」の平穏なところに、いつでも立ち返ることができ、
状況や状態だけが自分を表すものではなく、その良し悪しで自分や他人の価値が決まるものではないということを確認できるか。


その方法はヨガでもヨガでなくても
何でも良いのでしょう。



ただ、ヨガは
肉体もつかって練習していくので、
私たちの生きる地球での理解がしやすいのではないかと思う。


実際私は、身体の感覚を通して、
その瞬間を記憶してる訳ですし。。




自分の中に、「私」という存在の普遍的なところを見つけることが出来たら、
今抱いている感情や考えがどうであれ、
穏やかさの中にいられる時間が必ずある。


そんな時間をほんの1秒でも過ごすことが出来たのなら、
身体も、心も、痛みから解放される一瞬があるということ。



そしてそれは、もしかしたら
病気になることを防ぐかもしれないし、
起き上がれなくなるほど何かを背負う前に、
自分で自分を救えるかもしれない。




だから私は、ヨガをお伝えしていたりするんだな、と思う。







Om Shanti おすましペガサス