そんなに時間がないんだね。 | Live the life you love

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じぶんの人生を愛せる
そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



何かの話の流れで
息子がおじいちゃんとおばあちゃんの年齢を聞いてきました。


えーーっと…私が38歳になったから、、、

父は、意外にももうすぐ70歳。
母も、いつのまにか60代半ば。


改めて数字にしてみると、
思ってたよりトシだ。。。



息子も同じように感じたのか…


「えーー、じゃあお別れまでそんなにたくさん時間が無いんだね。
どんどん歳とっていくんだね。」


父も母も、とても元気で、
息子は、小さい頃から変わらず今も、
普通に会話をしたり、ご飯をつくってもらったり、お買い物について行ったり…しているので、

特に父の年齢を聞いた時、
その年齢はいわゆる「おじいちゃん」と言える年齢で、
息子はちょっとハッとしたみたいでした。




そうだなぁ。。

私も息子と同じような年齢の頃
十代の前半の頃
そのような事に気づいたなぁ。


目の前のおじいちゃんとおばあちゃんが、
家族の中でいちばん最初にお別れがくるであろう存在であること。


どうかどうか…
その日がなるべく先でありますように。

私がもっと大人になってからでありますように。

大人になれば、死に対する悲しみや喪失感のショックに、いくらか強くなっているかもしれない
と、その時の私は単純に思っていました。


もちろん実際は、そんな事全然なかったのだけどね。。。
子供だろうと大人だろうと、悲しみや喪失感は、結局本当には変わらないのだろうと、今は分かる。



息子と同じような年齢の頃、おじいちゃんとおばあちゃんとの時間が
家族の他の誰よりもいちばん短いだろうと気づいてから、


家にいて暇な時は、なるべく一緒にお茶を飲んだり、
木曜の夜は、一緒に「わたおに」を見たり、
おじいちゃんがあたってるコタツに入って、絵を書いたりして過ごすようになりました。

県外の大学に行っていた頃
帰省してからまた学びの地に戻る時は、
玄関で手を振ってくれた二人の顔をなるべく覚えてやくもに乗るようにしていたし。


大学を卒業してからすぐに地元に帰って就職して良かったな~と思う数少ない理由のひとつは、
晩年のおじいちゃんとおばあちゃんと過ごす時間を、いくらか長くできたことだ。



やはり10歳とかそのくらいの年齢にある時に、

おじいちゃんとおばあちゃんという「呼び方」や「存在」としてだけ認識していた人達のことを
年齢を加味した「おじいちゃん」と「おばあちゃん」としても思うようになるのかな。。




「えーー、じゃあお別れまでそんなに時間が無いんだね。
どんどん歳とっていくんだね。」



かつての私が感じたような事を
今息子が感じ、
この時私は、それを親に対して思う訳で…

それはとても切なくなるし、
やっぱりあの時と同じように、
なるべく先であってほしいと願いもするけれど。


同時に命の繋がりのようなことも感じて、
どこかあたたかい気持ちにすらなりました。