とある町のとある喫茶店。

 

初めて入るそのお店。

 

メニューから「本日の珈琲」を注文。

 

しばらくすると、「本日の珈琲」が運ばれてきた。

 

コーヒーカップに口をつけ、香りを楽しみ、こう思う。

 

「ああ、これが本日の珈琲か」と。

 

そう思ったものの、ボクはこのお店に初めて来たし、

 

明日はこのお店に来ることはない。

 

「昨日の珈琲」は知らないし、

 

「明日の珈琲」も知ることができない。

 

「本日の珈琲」は今日しか飲むことが出来ない。

 

「これが本日の珈琲か…」と思ったけれど、

 

昨日とも明日とも比較することが出来ない、

 

今日しか飲むことができない「本日の珈琲」なのだからとても貴重だなと思った。

 

ふと、店の窓の外を見ると、

 

桜の花びらがちょうど風に乗って舞い散っていた。

 

舞い散る花びらを見ながら、昔、こんなことを言ってた人がいたのを思い出した。

 

桜ってみんな好きですけど、あれは何でですかね?

 

一年に一回咲くからですか?

 

春しか見れないからですか?

 

満開になって散っていく姿が儚く美しいからですか?

 

でも、ヒマワリだってコスモスだって椿だって、

 

毎年一回しか咲きませんよ。

 

夏や秋や冬にしか見れないですよ。

 

桜と同じで、

 

去年と同じヒマワリやコスモスや椿はどれ一つとってもないですよ。

 

満開になって散って儚く美しいですよ。

 

なのに、桜だけみんなから愛されたり、

 

桜の木の下で花見をするのは解せないんですよね。

 

だったら、夏も秋も冬も、

 

それぞれの季節花を見ながら花見をすべきですよ。

 

確かにそうだなぁなんて思いながら聞いていた記憶が蘇る。

 

きっと、毎日、このお店は「本日の珈琲」を出しているはずだ。

 

ここの店主は「毎日同じものだよ」と思いながら出しているかもしれないけど、

 

昨日と今日、今日と明日では天気も違い、気温も湿度も違い、

 

やってくるお客さんの体調や気持ちも、

 

店主自身の体調や気持ちや機嫌も違う。

 

だから、「本日の珈琲」は本当にその本日しか飲めないものなのだ。

 

 

大人になると毎日が同じように過ぎていくけれど、

 

でも、本当は昨日と全く同じ日なんてなくて、

 

明日も今日と全く同じであるはずがない。

 

自分で「毎日同じなんだ」と決めつけているだけだし、

 

何も起きない毎日をヒマワリやコスモスや椿と同じ扱いをしているだけなのだ。

 

そして、たまにやってくる特別な日だけをお祝いする。

 

そんなのは失礼な人生だ。

 

自分にとって失礼なのだ。

 

舞い散る桜を見ながら、

 

昨日でもなく明日でもなく、

 

今日しか飲めない「本日の珈琲」をもっと楽しむべきだとボクは思って、

 

ゆっくり丁寧に「本日の珈琲」を味わった。

 

すべての花を愛するその人の話を思い出しながら。

 

 

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