ちょうど2月~3月は受験シーズンで、

 

今、受験生のお子さんがいらっしゃる親御さんもいっぱいいると思います。

 

ボクの読者様の中にもいらっしゃいますし、

 

これまでも受験生のお子さんをお持ちの親御さんと沢山お会いしてきました。

 

受験や就職、転職、恋愛、結婚、出産、離婚、介護、死別などなど…、

 

色々と人生には転機がありますが、

 

ちょうど今、その受験の合否結果で一喜一憂している方や、

 

ナーバスになっている人もいると思うんですね。

 

志望していた学校に行けることになった場合はお祝いムード一色ですが、

 

残念ながら不合格になってしまう人もいるでしょう。

 

親という立場からすれば、

 

やっぱり子どもには志望しているところに受かってほしいし、

 

そのためにサポートをしてきてるはずなので、

 

もし万一、不合格だと絶望的な気持ちになると思います。

 

僕は親になったことがないし、これからもならないかもしれないので、

 

こんなことは安易に言えないですが、でも言います。

 

志望校に合格することは素晴らしいし、

 

出来ればそこに行ってもらいたい気持ちもあるでしょうけど、

 

不合格だからと言って人生は終わりじゃないです。

 

どこの場所に行っても、

 

結局は、その子の意識次第でいくらでもその後の人生が変わります。

 

これは就職した時でも同じですし、結婚する時だって同じです。

 

会社や結婚相手がどれだけ素晴らしい場所や人であっても、

 

自分を幸せに出来るのは自分だけです。

 

場所や人が幸せをもたらすのではなく、

 

「自分はどこに居ようとも、誰と居ようとも幸せだ」と思える人にだけ幸せが訪れます。

 

「志望校に行けたからこれで安心安心!」と思っていても、

 

その後、「やっぱりこの学校は何か違う気がする…」と思うことがあるかもしれないですしね。

 

かえって、不合格になったことで、

 

後々、人生に影響を与える人と出会えたり、

 

転機となる出来事が起きるかもしれません。

 

それも結局はその子が腐らず、

 

「これも何かの運命かもしれない。

 

だから、どこに居ても、誰と居ても、私は、僕は、幸せでいるんだ」

 

と意識していたら起きることだとボクは思っています。

 

不合格だから不幸、合格だから幸せじゃないんです。

 

なにせボクだって高校受験、行きたかったところに行けなかったのだから。

 

行けなかったけど、

 

今、こうしてブログを書いているのは多分、不合格だったから。

 

合格していたら、きっと文章を書くということ自体していないと思います。

 

そこから先の人生が変わって、こうしてブログを書いて、本も書いて、

 

多くの人に出会えたのは不合格だったあの日があったから。

 

「フトシさんの本に出会えてよかったです。

 

死ぬのをやめて、もうちょっと生きてみます(笑)」

 

と言ってもらえることがあるのも不合格だったあの日があったから。

 

その言葉を言ったその人はボクが志望校に合格していたら、

 

もしかしたらこの世を去っていたかもしれません。

 

ということは、一人の命を救ったじゃないか、と。

 

意図したわけじゃないけど、そういうことだってあるわけです。

 

だから、合否の結果の先に、一体何があるか分からないのが人生です。

 

確かに不合格だった場合、

 

親としたら子どもと同じぐらい悲しいし、絶望してしまうかもしれません。

 

でも、どうかその時は思い出してほしいんですね。

 

 

子どもが生まれてきてくれた日のことを。

 

初めて笑った日のことを。

 

初めて話した日のことを。

 

初めて歩いた日のことを。

 

初めて一人で学校に行ったあの日のことを。

 

「ああ、元気でいてくれてよかった。本当によかった。本当に…」

 

 

ただただ感謝したことだと思います。

 

生まれてきてくれてこの十数年、

 

笑って泣いて、すねて、また笑ったあの日のことを思い出してほしいんですね。

 

 

「他には何もいらない、願う必要もない。元気で生まれてきてくれてありがとう」

 

と思ったあの原点は「愛」そのものだと思うんですね。

 

 

「子どもがどこに行こうとも、誰と過ごそうとも、

 

誰と結婚しようとも、しなくとも、そんなことはどうでもいい。

 

ああ、なんて愛おしいんだろう。なんて…愛おしいんだろう」

 

そう思ったあの原点の日を思い出してほしいんですね。

 

それが愛です。

 

それが親に出来ることの全てです。

 

原点を忘れないこと。

 

合否の結果がどう出ようとも、それが親に出来ることの全てです。

 

志望校に行けたとしても元気がなくて、

 

ご飯も食べられないほど泣いていたら嫌でしょう?

 

それよりも、どこに行こうとも元気に笑っている姿を見たいでしょう?

 

もちろん、合否の結果は大事だし、一緒に泣いたり、喜んだりすることも大事。

 

でも、それ以上に、

 

「子どもはどこに行こうとも幸せなんだ」と、

 

原点を起点にして信じてあげることこそが

 

親が出来うる最大限の務めだと思うんですね。

 

いや、もちろんね、その原点の日を忘れるはずがないのは分かってます。

 

けど、いつでも、その原点の日を思い出してほしいんですね。

 

人生の転機になりうるナーバスな日は、特に。

 

「結果は大事だけど、それより大事なのは今日もあなたが元気で生きていること。

 

私があなたを想う時、それは本当に幸せだと思える瞬間」

 

きっとそんな気持ちだと思います。

 

相手を想って、本当に幸せに包まれるって、それこそ愛じゃないですか。

 

腹立たしさや悲しみや期待や見返りを求めることすらない。

 

その原点の日は幸せの瞬間そのものだと思います。

 

そして、「幸せ」をもし、形作ることが出来たら、

 

それは子どもの存在そのものだとも思います。

 

そこに立ち返ってもらえたら、子どももきっと幸せだと思います。

 

どんな子どもも親に、

 

「あなたは幸せだから何があっても大丈夫なんだよ」と信じてもらいたいものですから。

 

「親の愛(気持ち)がなかなか伝わらないなぁ」って思ったなら、

 

それは原点のあの日を脇に置いて、

 

独善的な愛を伝えようとしているからかもしれません。

 

愛は時に言葉や態度で伝えることも大事ですが、

 

何より大切なのはいつだって原点のあの日を忘れないこと。

 

夫婦もそう、彼氏彼女もそう、親子もそう、

 

出会ったあの原点の日を思い出してみてください。

 

何もしていないのに、何もしてもらってもいないのに、まだ何も起きていないのに、

 

その子やその人のことを想っただけで幸せに満たされたじゃないですか。

 

これはすごいことですから。想うだけで幸せに満たされるなんていうのは。

 

本当はそれだけ(その気持ちに浸ること)が大切なんですよね。

 

その幸せいっぱいの気持ちでいる時に、

 

相手にもこちらの気持ちが伝わっていくものだと思いますしね。

 

ところが、いつの間にか相手に期待したり、見返り求めたり、

 

結果で判断するから苦しくなります。

 

だから、その原点の日を何度だって思い出してみてほしいんですね。

 

思い出してみた時、

 

子どもがきっとまた一段と輝いて見えるし、

 

幸せを与えてくれる神様みたいに見えると思います。

 

愛はいつもここ(あなたの胸の内)にあります。

 

愛はどこにも行かないのです。

 

親であるあなたが原点の日を思い出せば、

 

何も掛ける言葉が見つからなくても、

 

愛は胸の内を飛び出て子どもに伝わります。

 

「結果はどうあれ、これから進む道(学校)で頑張ろう」と。

 

愛はいつもここにあります。

 

合格でも不合格でも関係なく、あの日を思い出してくださいね。

 

子どもはそれで安心、それで笑える日がまたやってきます。

 

 

* * * * *

 

今日も元気でいてくれさえすればいい。

 

その気持ちこそが愛。

 

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