このサンに切明温泉から登るとすると貼付け登山地図によれば登り5時間45分、下り5時間計10時間45分かかるという。くるまなしでは切明温泉連泊でしょう。ここの湯元雄川閣(別項)に翌日はこのサンに日帰り登山といって予約し施設案内パンフレット送付を所望すると登山道解説パンフも同封して送ってきます。それには長野県栄村で一番高い山とキャッチフレーズされています。村境の百名山苗場山2145mを抜く2191mあります。この高さはなーなかなものなのです。もっと範囲を広げて上越線(高崎~宮内、枝線の吾妻線を含む)または関越自動車道利用で表登山口に至る山々を見てみましょう(どのようにでも切り取れるわけですが、この括りはあながち無意味ではないでせう)。するとこのサンを抜く高さの山は尾瀬の燧ケ岳と至仏山、志賀高原の横手山だけなのです。百名山の赤城山、武尊山、巻機山、平ヶ岳、越後(魚沼)駒ヶ岳、草津白根山、苗場山、谷川岳より高い。なのに村内の鳥甲山2037mと村界白砂山2139mと同じやっと二百名山、これは一つの謎でしょう。
謎はこればかりではありません。第一名前が謎です。
魚野川に流れ込む佐武流沢源頭にあるから佐武流山さ、どこが謎なんだい?
アハハ、そーだよね、なーんて簡単。ちょいとお待ち、そこに山があるから(登るんだ)に似て答えになっているようでなってないでしょ。サブリュウまたはサブル自体について説明しちくり。
乙に絡みついてきやがるじゃねえか。そういう奸国人みたいなのは都知事も明言するとおり日本人の99%以上がでえ嫌いだってことよ。ひねくれたキムチワリイ低能に道理がわかるわけもねえが、知らざあいってきかせやしょう。このサンにも2等三角点があるが、明治に三角測量した技師が地元民にきいて、こうと聴き取った音を当て字したものに相違ない。ここは秋山郷といって平家の落人の里よ。他より閉鎖的で方言もきつかったことだろう。北海道の地名をみてみねえ、アイヌ人の発声を聴いてあの通りよ。そこまででなくても実際とはかけ離れている可能性がある。そこに技師の生い立ち、素養、嗜好による解釈が紛れ込むことは大いにありうるだろ。技師だけに英語は理解したろう、信濃川の支流のまた支流でSUB流でいいじゃねえか。ひょっとしたら雑誌さぶの愛読者だったこともありうる。そんな野郎か女郎かわからん奴が笠法師山あたりの三角点上の櫓からこのサンこの沢を見てたとしたらどうでい、奴の大好物そっくりに見えたに違えねえ、このサン、さぶっていやがる。・・・お後がよろしいようで。
もう一つ謎がこれだけ高いサンのプロフィールが描けない。鳥甲山なら描けるがこれは村落から丸見えに対しこのサンは全く見えないからかと一旦は考えます。といって苗場山も全く見えないのだが、近くの山に登ればあれは苗場山だと指呼することができます。東西南北隣接の平標山、岩菅山、白砂山、苗場山には登っているのにあれが佐武流山と視認した記憶がありません。とにもかくにもこのサンとはっきりわかった上でその姿を見ておきたいとゆーわけで山行。
このサンへは苗場山、赤倉山から縦走することもできますが、切明温泉から2000年に再開発された登路により西赤沢源頭で縦走路に合流して達することが多いようです。これについては貼付け登山地図添付冊子、前記解説パンフに記述されています。またネットでヒットする記録も10本はくだらないでしょう。重複にすぎませんが、一応解説。
切明温泉から和山温泉への舗装車道を進むと右に野反湖への林道(入口ゲートで閉鎖)を別けた後すぐ二分、道標に従い右の舗装車道をとります。この分岐点で帰り暗闇の中カモシカが立っていました。拙がすぐそばを通り過ぎるのに逃げようともしませんでした。温泉から30分で中津川林道(未舗装)入口ゲートが右に。ここから約3.5km中津川林道を歩きます。1kmごとに表示木柱があります。行きにクマが右手に、拙の大きくもない足音を聴きつけ脱兎のごとく(ウサギではないんだが)逃げ去るのを見ました。檜俣川林道分岐点には大きな入口表示木柱が立っています。右にわかれるこの林道をこんどは約2km歩きます。やはりkm表示木柱があります。月夜立岩が立ちはだかるとすぐ檜俣川下降点(表示あり)。中津川林道は木材搬出トラックが頻繁に利用しているようです。檜俣川林道もかなり先で路肩でズルッとやれば谷底まで♪まっさかさーまーにー墜ちてデフォルトの場所があるがそこまでは問題なく大半くるま通行可能のようでゲートがなければよっぽど時間短縮可能と思われます。

檜俣川渡渉点はロープが張ってあります。秋では台風直後でもない限り登山靴を脱がずに渡れる水量。川底はツルツルしてません。万一スベッて流されても段差は小さく下も浅く頭を打って気絶でもしない限り溺死はない。

渡った先の湿った岩にシラヒゲソウ(ユキノシタ科)の残花

またダイモンジソウ(ユキノシタ科)も

カラマツ林からコメツガ林へと急坂が悪沢(ワルサ)峰まで続きます。途中ちょっとだけ平になる部分に物思平(表示板あり)と命名されています。
月夜立(ツキヨタツ)岩の全貌も見えます。

これまたわかるようなわからないような名です。月光に輝く安山岩の岩壁を見れば凄絶だろうが、似た規模の岩壁は秋山郷には多い。何か月に絡む伝説でもあるのでしょうか。そうでないなら衝立岩の転訛ではないかと。

右手の尖峰は猿面峰1998mで登山道はこの峰を回り込むように続きますのでほとんどずっとこの峰が姿を変えていくのに付き合います。

岩菅連山(最高点は岩菅山でなく裏岩菅山2341m)

(帰途)

悪沢峰1878m(表示板あり)からナラズ山2051mが大きい。

(帰途)

そして苗場山から大岩山にかけての頂稜部傾斜平原もはっきり見えます。

(帰途)

(帰途)

行く手ほんの小さく佐武流山らしき影が見えます。

悪沢峰を振り返ります。

西赤沢源頭(表示板あり)で苗場山から赤倉山、ナラズ山経由の道と合流します。水場への往復は30分。ここから笹のなか少しで坊主平(表示板あり)。苗場山白砂山間に全く道がない時代からの幕営地でしょう。さらに針葉樹下笹の中を進むとごく小さな池塘があります。

大黒山2066m方面も見えます。2000mを越す山々というのに登山道なくとんでもない藪山のようで登る方は稀のようです。

さらによっぽど近づくとやっと頂稜部が望めます。

13:10 2191m2等三角点

苗場山も谷川連峰もほとんど雲がとりついていました(苗場山から雲がとれたのは帰り道です)。白砂山方向は樹林で遮られ見えずまた笹で閉ざされ道形もありません。稜線部の笹は少し高度が下がると背丈ぐらいになり密生していて、登山道再開発された方々がいなければ拙に登頂はとうていムリだったと思われます。ここから白砂山へもご辞退です。
雄川閣の朝食開始7:30出発8:00では山頂滞在わずか20分で帰着18:10、10月10日では真っ暗です。落日までには檜俣川下降点まで戻っているのが安全でしょう。というより朝食も持参で早朝出発かな。
切明温泉では紅(黄)葉色づき初めでしたが、登るにつれ最高潮の高度帯もありました。イメージもはっきりしない山のわりには楽しめました。
これで佐武流山を指呼できるようになったかですが、確認するすべがありません。本文記載の山々は全て登頂済でもう1度登る計画はないのです。もし登ったとしてもほんの天辺だけそれも特徴のないのを斜め見では確実に指摘はやはりムリかも。謎のままの謎もあってもいいんじゃないでしょうか。
途中遭遇は老人男性1名だけ。