闘病27日目 誕生部だった娘の居ない自宅から 19/01/20 | 13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

13歳の娘が骨肉腫と戦った322日の記憶

2018年12月24日に突然の告知からの入院。
その日から小児癌に負けることなく笑顔と優しさを
持ち続けた中学生の記録です。父親の私の立場から
彼女の事を少しでも多くの人に知って貰いたいそんなブログです。

 

目が覚めると天井の照明扇風機が
クルクルと回っています。
そこには、娘の姿はありません。

誕生日だった19日。
一時退院の許可がでました。

 

かなり吐き気が強く辛そうでしたが

私達親の強い希望、それは

「誕生日は自宅で!」

と思っていました。

ただ、それが裏目にでたようです。

 

なんとか自家用車に乗せて

帰宅しましたが

 



基本的にずっと、横になっている状態

動きもせずに、何も飲み食いもできず

ただただ、布団に入っているだけ。

 

これでは病室にいるのと一緒じゃ?

と娘に聞いてみたら、

 

「私は家の方がよい。」

といってくれましたが、

急に起き上がったと思ったら

トイレに直行。

 

吐き気でトイレにうずくまって

動けません。

30分ほどトイレから出てこないので

覗きに行くと「動かさないで!」と。

 

その後も数時間、布団で横に

なってはトイレに行って動かない。

そんな時間が続き、

 

余りにも辛そうですし

このまま自宅にいても何もできないので

夕方に来望に「病院に戻る?」と

訪ねてみたら、

 

「うん・・・」と。

強い娘が弱音をいう時は

かなり辛い状況だったという事。

 

これって親のエゴで無理やり

自宅に帰ってきただけだったのか?と

病院に向かう車を運転していました。

 

そして病院に戻りました。

飲み物すら、受け付けない大変な状態。
もしかしたら、退院で浮かれていたのは
両親だけだったのかも・・


夜中になっても、なかなか
点滴しても気持ちわるいし
痛み出るし、痛み止めして
効果がすぐに出ずに
我慢の状態。

落ち着いたかと、思うと
足が痺れるとの事。

奥さんが付いていてくれて
本当良かったです。
私だったら気持ち的に

耐えられなかったかもしれません。

 

母親はココ一番は本当に強く

娘にとっても大事な存在なんだと

何度も思わせてもらいました。

 

今回、一番痛感したのは

親の気持ちと、子供の気持ちでは

もしかしたら大きなズレがあるのでは?

と改めて、これからの事を

考えさせられる事になりました。

 

最優先は子供と思っていたはずなのに

実際にはそうでは無かったのかも・・と。

 

ごめんね。