お婆ちゃんの旅立ちと老人介護について
こんにちは、くるくるです。
ちょっと遅いですが、あけましておめでとうございます。
前回の日記が、
死亡報告逃げしたみたいで
ちょっと気になっておりました。
すみませんね。突然あんな感じで。
でも、
人の死って
突然くるんですよ~。ひょえ~
あ、
いえいえ、
お婆ちゃんの場合は、突然とはいえないのかもしれません。
お婆ちゃんの場合は・・・
だんだんと年をとって衰え、
歩くのが難しくなり、
車椅子を使うようになり、
自分ではトイレにいけなくなり、
言葉が少なくなり、
ぼ~っとして無反応なことが多くなり、
座っていてもすぐに斜めになり、
食事の量が減って手首が細くなり、
血管が浮き出るほど皮膚が薄くなり、
でも、たまに
ニヤリとすることもあって
「あら、今日は元気ね~。」
なんて話しかけるけど、
やっぱり反応はなくて、
だんだんそんな元気も見られなくなり、
訪問看護士さんに栄養の点滴をうってもらって、
どうにか栄養を補給させるようにしたり、
でもそれも、
何度もやるうちに、
血管がもろくて針が入らなくなり、
そして、
昨年の猛暑に嫌気がさしたのか、
旅立ってしまったのでした。
この間
およそ3年半。
介護期間としてはそう長くはないのかもしれませんが
初めての体験で短いと感じられはしませんでしたね・・。
途中、
ほどよく認知症も発症しましたよ。
姑に
「私は今からそこのバスで岩手に行く!」と叫んで
スーパーのビニール袋にポケットティッシュをつめて
家を飛び出したこともありました。
車椅子になり、トイレに連れて行くのに限界を感じて
オムツに変えたのはいいけれど、
違和感を感じるのか、
何度もオムツをはずし、衣類を汚したり。
その度に、世話をしているお義母さんは
「どうして?どうして?」と取り乱し、落ち込んでいました。
お義母さんは本当に、大変だったと思います。
昼も夜も無く、いつも気をはりつめて
お婆ちゃんの世話をしていました。
なんか息が止まってる気がして!と言ってわざわざ
寝息の確認にいったり。
私も、お手伝いはしていたけど
自分の3番目の子の出産や乳飲み子育児があって、
お義母さんのように、寄り添って手伝うことは
出来ませんでした。
寄り添って手伝うべきのお義父さんは
何かトラブルがあるたびに・・・
「オレ?ひゃ~~
無理無理~!((( ;°Д°)))」
なんて返事をして
お義母さんの怒りをかうしまつ。
男って、こんな時にかぎってしなくてもいい尻込みして
まったく空気を読まない発言もして、
周囲にヒンシュクをかいがちですよね。
うちの舅はその典型的タイプです。
こんな舅の相手もしながらですから、
姑のストレスはたまる一方。
そしたら、我が旦那が
「しょうがないなあ~」と、立ち上がりましたよ。
さすが、くるくる家の跡取り一人息子。
こんな時は、頼れる男です。
そして、彼が
「これでも見て。きっと楽になるから。」
そういって、
お義母さんにそっと差し出したのが・・・・
奥様のアイドル綾小路きみまろDVD
綾小路きみまろ
爆笑ライブDVD。
∑(゚∇゚|||)
おいおい。
空気読めないは遺伝しましたか。
いえいえ、
これも、もどかしい思いっぱいの主人の照れ隠し・・・
のはず。
こんな感じで介護生活は、
家族みんなで、もめながら、ごまかしながら、
どうにかこうにか乗り越えていくことが出来ました。
この3年半という貴重な時間があったから、
「お婆ちゃんは思い残すことなく
旅立てたはず。」と
勝手に下界の人間は
思い込む事ができてるのかもしれません。
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●ほんと結婚って次から次へと大変よね~(*´д`*)●
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