涙の水泳大会~母にハメラレタ娘 | 「嫁にしたくない女No.1」3世代同居ライフを爆進中

涙の水泳大会~母にハメラレタ娘

私の母親は、とてもテキトーな人間だ。

大雑把で、気分屋で、思いつきで行動することも多い。

そして、そんな母親にときどきうちら子供は被害を受ける。

私が受けた被害の中でも、特に大きかったのが、
私への水泳指導である。



それは、まだ私が小学生低学年の頃、
母は、よく私や弟を、市民プールに遊びに連れていってくれた。
そして、そこでよく私と弟に水泳の指導をしてくれたものだ。


「こうやって、こうやればどんどん前に進むから」


身振り手振りで、うちらに平泳ぎと背泳ぎをせっせと教えてくれる。
おせじにも上手とはいえない、母の説明だったけど
小学生低学年のまだ泳ぎらしい泳ぎを習っていないうちらは
その泳ぎを覚え、とりあえず25メートルほどは泳げるように
なっていった。


小学2年生の夏、クラス対抗の水泳大会が行われることになった。

年に1度の大きな学校行事だ。

大会の数日前に、リレーに出るための選手決めがあった。
バタフライを除く、平泳ぎ、クロール、背泳ぎのリレーだ。

でも小学2年生だと、スイミングにでも通っていなければ、
そう水泳の上手な子はいない。
特に背泳ぎはまだ難しい泳法だった。

私はその時、つい背泳ぎ25mくらいなら泳げることを
周囲の子にもらしてしまい、
選手に推薦されてしまった。

どうにか25m泳ぐことは出来たけど、
そうスピードがあるわけでもなかった
ので、内心あせったけど、
「背泳ぎできるなんてすごい!」
ってクラスメイトの言葉に乗せられて結局引き受けてしまった。


その後、
血も凍るような地獄
待っているとも知らず…。



大会当日、プールサイドにビッシリ生徒が詰め込まれた中
白熱した競技が始った。
リレーでは、背泳ぎが一番最後だ。
私は、ドキドキしながらも水にもぐり、前の選手から
タッチを受けると、全力でスタートを切った。

とにかく無我夢中で泳いだ。

わけもわからず必至で泳いだ。



ちょっと余裕が出てきたとき、「何位くらいだろう?」と

フト隣のレーンに目をやった。


ザバ~、ザバ~と豪快な水しぶきがあがっている。

あれは何だろう?って思った。


みんなの声援が遠くから聞こえる。


でも、その声援が

なんだかおかしい



目を見開いて、泳ぎながら周囲を見回してみる。



プールサイドの生徒が何故かみんなこっちを見て
笑っているような気がする。



私はもう一度隣のレーンを見た。

あきらかに

私の知っている泳ぎとは違う泳ぎ方

をしている。



いや…。


違うのは私だ。



そう、


私はそれまで、


上向きに浮かんで、


足はバタ足で、


手は脇の横につけて、


ペンギンみたいに

バタバタ上下に動かすのを
背泳ぎだと思っていたのだ…。



そして、全校生徒の前で今、

そう泳いでいる。



ああ、悲しいかな背泳ぎ。


手を叩いて笑っている生徒の顔が
これまたはっきり見えてしまう…。


担任の先生が、すぐ私のサイドまで駆け寄って
「がんばれ!、がんばれ!○○(旧姓)あと少しだ!」
と複雑な顔で応援してくれるのがまた恥ずかしい(T△T)。


あせって、パニクって、左右のバランスを崩したためか、
微妙に方向が曲がって、
ゴンゴンと何度もプールサイド
頭をこすりつける私。



その姿はさながら、

生け簀に入ったイカ
のよう…。





その度に先生が
「違う、左だ、もっと左だ!こう!!」と
大きなジェスチャーで
アドバイスをくれる。




まさに、


生き地獄…(T△T)





この経験は、私の深いトラウマとなったことは言うまでもない。_| ̄|○



その後母親には泣いて文句を言ったが、
「え?最後まで泳げたんでしょ?よかったじゃない。」
とまったく反省の色はなし。



つくづく恐ろしい母親である。




それから20年ほど後、
母親は突然スイミングクラブに通いだした。


「え?どうして今さらスイミングになんて入るのさ?」

私がそう聞くと、

「え?、だって私、水泳って今まで

一度も習ったことないのよォ。

そうそう、知らなかったんだけど、

息継ぎって覚えると楽ネエ。これまで、

25mも泳げなかったんだけど
これからはスイスイ泳げそうだわ~♪」

とのたまった…。



テキトーもここまでくると芸術である。