『渇望(Törst )』はイングマール・ベルイマン監督が1949年に撮った映画で、撮影は同監督『野いちご』(1957)のグンナール・フィッシャー、そして音楽は『処女の泉』(1960)のエリク・ノルドグレンが担当しております。

 

元ダンサーのエヴァ・ヘニング(役名:ルート)と夫のビルイェル・マルムステーン(役名:バッティル)はイタリアで休暇を過ごした後、列車でスエーデンへと向かっています。

エヴァ・ヘニングの飲酒癖と不安定な精神状態の所為で、2人の結婚生活は不安に揺らいでいます。

戦争の傷跡が残るドイツの街並みを通り過ぎながら、エヴァ・ヘニングは既婚の軍人ベングト・エクランド(役名:ラウル)との昔の情事を思い出します。

ベングト・エクランドは懐妊した彼女に中絶を強要したことにより、エヴァ・ヘニングは合併症で不妊症となったことと、脚の障碍も重なりダンサーとしてのキャリアを断念せざるを得ませんでした。

男性に嫌気がさした彼女のバレエ学校時代の同僚ミミ・ネルソン(役名:ヴァルボルイ)は、同姓を恋愛の対象としています。

夫のビルイェル・マルムステーンは、未亡人ビルギット・テーングロート(役名:ヴィオラ)との以前の情事に未だに悩まされています。

エヴァ・ヘニングのバレエ仲間だったビルギット・テーングロート(役名:ヴィオラ)は夫を亡くした後、精神科医のハッセ・エクマン(役名:ローセングレン)に弄ばれ、偶然会ったバレエ学校時代の同僚ミミ・ネルソン(役名:ヴァルボルイ)に迫られます。

学校時代はお互いに助け合った2人でしたが、荒んだ生活にビルギット・テーングロートもミミ・ネルソンも翻弄されており、沈鬱な表情を浮かべたビルギット・テーングロートはやがて入水してしまいます。

一方、列車で旅をするエヴァ・ヘニングとビルイェル・マルムステーンの会話は激しさを増します。

途中停車の駅では、戦争で家や親を無くした老若男女が車窓に向かって手を伸ばします。

ストレスにより昂まった緊張が極限に達したビルイェル・マルムステーンは、傍らの抱き空瓶に手を伸ばします。

 

本作は、過去の恋愛がトラウマとなっているエヴァ・ヘニングとビルイェル・マルムステーンが繰り広げる、イタリア旅行帰りの夫婦模様が細かな演出により描かれます。

パートナーとの人生行を、国際列車のコンパートメントを舞台にして演じられている映画だと思いますが、イングマール・ベルイマン監督の手腕により、時空と奥行を感じさせる映像芸術作品になっているのではないかと自分は考えます。

愉しいはずの帰途、共同生活者としての衝突や苛立ちが繰り広げられる中で、前恋人のベングト・エクランドが乗る車両と擦れ違い、被災したドイツの人々の手が窓を覆いつくし、そしてエヴァ・ヘニングの同僚で夫と関係のあったビルギット・テーングロートがミミ・ネルソンに誘われた後に入水するシーンが印象的に挿入されます。

夫婦の倦怠感が描かれた作品としては『いつも2人で』(監督:スタンリー・ドーネン 1967)が個人的に思い浮かびますが、この映画では新婚時の曙光は描かれずに、夫々の過去が翳として現在の2人を覆っている様に思います。

終盤に重ねられる死のイメージとダンサー時代の若き日の煌めきとの対蹠が観終わった後も心を揺さ振り続ける、若干31歳のイングマール・ベルイマン監督が撮った尖鋭的作品として、これからも観続けて行きたい映画です。

 

§『渇望』

ベングト・エクランド、エヴァ・ヘニング↑

病室のベットに横たわるエヴァ・ヘニング(右手前に注射器)↑

ビルイェル・マルムステーン、エヴァ・ヘニング↑

ビルギット・テーングロート(左)↑

ビルギット・テーングロート、ハッセ・エクマン↑

ビルイェル・マルムステーン、エヴァ・ヘニング↑

エヴァ・ヘニング、ビルイェル・マルムステーン↑

 

ビルギット・テーングロート、ミミ・ネルソン(ビルギット・テーングロートを誘惑する)↑

空き瓶を手にするビルイェル・マルムステーン↑

入水前のビルギット・テーングロート↑