フランソワ・トリュフォー監督が1959年に撮った長編デビュー作『大人は判ってくれない』は、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した作品であり、2013年にイギリス映画協会が実施した世界の映像作家によるオールタイム・ベストでは13位にランキングされております。

 

悪戯好きで学校の成績が芳しくない12歳のジャン=ピエール・レオ (役名:アントワーヌ・ドワネル)は、小説や映画が好きな感受性豊かな少年です。 

彼は学校では教師に煙たがられ、厳格な母親のアルベール・レミー (役名:ジュリアン・ドワネル)と小市民然とした義父クレール モーリエ(役名: ジルベルト・ドワネル)からも理解されない鬱々とした日々を、夫婦喧嘩の絶えない家の中で過ごしています。

仲の良いバトリック・オーフェー (役名: ルネ・ビジェー)と連れ立って学校へ行くのを止めたジャン=ピエール・レオは、街中で母親が見知らぬ男と抱き合っている姿を見かけ、母親と目を合わせてしまいます。 

翌朝、 無断欠席の理由を教師に訊かれたジャン=ピエール・レオは母が死んだと答えますが、 欠席を知った両親が現れたことで虚言が暴かれます。 

心酔するオノレ・ド・バルザックの本を手に入れたジャン=ピエール・レオは、彼が文豪の「絶対の探求」を咀嚼して書いた作文を、子供には書けない文章だと思い込んだ教師に盗作であると咎められます。

ジャン=ピエール・レオの潔白を主張したバトリック・オーフェーは、教師の理不尽な思い込みに反抗し、親友を擁護したことによる停学処分を受け入れます。 

パトリック・オーフェーの家に隠れ住んでいるジャン=ピエール・レオは、金策の為に2人で義父のタイプライターを仕事場から盗みますが、結局は売ることが出来なかったタイプライターを在った場所に戻そうとした際に、守衛に見つかってしまいます。

母親のアルベール・レミーは、手に負えない息子に対し判事の勧めるまま鑑別所に送ることに同意します。 

なかなか鑑別所に会いに来ない母親は、やっと顔を見せた面会の席でジャン=ピエール・レオを冷たく突き放します。

監視の隙を見つけて鑑別所を逃げ出したジャン=ピエール・レオは、山を越えて憧れていた海岸に辿り着くと、カメラを見つめ立ち止まります。

 

フランソワ・トリュフォー作品との出会いは、1972年2月に吹替え放送で観た『華氏451』(1966)でしたが、子供心に、本を隠れて読むという内容がとても恐ろしかったという記憶があります。 

ロードショー館でフランソワ・トリュフォー作品を観たのは『終電車』(1980)と『隣の女』(1981)の世代ですが、当時アルフレッド・ヒッチコック監督との共著「映画術」を何度も繰り返して読んでおりましたので、彼の作品は、TVや名画座等で折に触れては、少しづつ追いかけておりました。 

その中で、ある時名画座で観た『大人は判ってくれない』(1959)は、自分にとって人生ベスト10映画と思える程のインパクトを与えられた作品となっております。 

この映画を観て思うことは、大人の世界と主人公の子供の世界がシンメトリーやコントラストになっている部分があるように思うことです。 

それらを象徴的に感じるのが、主人公の少年の愛するオノレ・ド・バルザック(※)と義父が大切にしている旅行ガイド本の対比、人形劇場の観客と公園での少女との散歩シーンとパリをの街を闊歩する人の流れやカップル等です。 

手持ちカメラの遠景や、リアルな通行人のショットなど、映像の全てが瑞々しいこの作品は、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の様な、感受性溢れる思春期を作品化した傑作ではないかと思っております。  

 

PS この文章は2018年3月の書き込みの大幅追記による差替えになります。

あと、楽器店の映画フェアで、野口久光の描いた『大人は判ってくれない』のポスターパネル(レプリカ)を購入出来たことは望外の喜びでした。

 

(※)クロード・シャブロル監督の『いとこ同志』(1959)でも、オノレ・ド・バルザックが引用されておりました。 

私見ですが、ヌーヴェル・ヴァーグの監督達は、もしかすると情景描写で心理を描写することを得意としたオノレ・ド・バルザックを尊敬していたのではないかと想像しております。 

 

§『大人は判ってくれない』

ジャン=ピエール・レオ↑

ジャン=ピエール・レオ↑

ジャン=ピエール・レオ、バトリック・オーフェー↑

遊園地の回転遊戯で遊ぶジャン=ピエール・レオ↑

アルベール・レミー↑

見知らぬ男と居る母と目が合ったジャン=ピエール・レオ。右はバトリック・オーフェー↑

オノレ・ド・バルザックの写真に蝋燭の炎を灯すジャン=ピエール・レオ↑

鑑別所の面会に来たアルベール・レミー↑

脱走するジャン=ピエール・レオ↑

ジャン=ピエール・レオ↑

野口久光の描いた『大人は判ってくれない』のポスター(このポスターを気に入ったフランソワ・トリュフォーは、頼み込んで野口久光から譲ってもらった原画を自宅の居間に飾っていたとのことです。)↑