随筆 我らの勝利の大道 17 10/06/25

◆「立正安国」と創価の誓い (上)

 一人立て
  偉大な歴史を
     三世まで
  若き英雄よ
    永遠に残せや

 私の師・戸田城聖先生は、あの「青年訓」の冒頭に厳と記してくださった。 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」 若き命に脈打つ活力ほど、頼もしいものはない。 本年〝青年躍進の年〝の開幕から、わが後継の友は、勇気をもって動きに動き、語りに語り、「核兵器禁止条約」の制定を求める「声」を広げてくれた。 私の核兵器廃絶提言に応え、広島・長崎をはじめ勇んで立った若人たちが、一人から二人へ、三人へ、また十人へと、勇敢に声を広げ、平和の尊き大連帯となった。新しき世紀を開く、美事なる青年の壮挙である。 この「二百二十七万六千百六十七人」もの「核兵器廃絶署名」は、青年部代表の手によって、五月、ニューヨークの国連本部で行われた「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」と国連に提出された。 再検討会議のカバクテユラン議長は、私どものニューヨーク文化会館で行われた、この署名の寄託式にメッセージを寄せて、賞讃してくださった。 「人びとが声を上げ、団結していくならば、指導者従うことになる」と。再検討会議では、五月二十八日、「核兵器なき世界」の実現を目指すことを謳った最終文書を全会一致で採択した。その中には、わが青年たちが署名で訴えた「核兵器禁止条約」に留意することも、明確に盛り込まれていたのである。 また、議長総括では、〝核兵器なき世界の実現に向けた政府や市民社会の新しい提案に留意〝するとの言及もあった。 ――平和と正義の声が指導者を動かし、世界を動かす。これはまさに「立正安国」の波動そのものといってよい。

正しき行動の潮を

 無数の川が集まって大河となり、大海となる。 地道のようであっても、核廃絶を願う民衆の声を、たゆみなく結集しゆくなかに、滔々たる平和の潮が高まっていくことは、絶対に間違いない。 ロシアの大文豪トルストイは書き留めている。 「正しき思想がないあいだは、正しき行動はあり得ない。正しき思想があるときには、正しき行動は、最早自ら、その思想の中から流れ出て来るであろう」 わが青年部よ!正しき生命尊厳の思想に依って立つ、君たちの勇気と情熱の行動が、どれほど社会を変えゆく正義の潮流となっているか、大いに自信と自負を持ってもらいたいのだ。
     ◇

 日蓮大聖人は、文応元年(一二六〇年)の七月十六日、幕府の実質的な最高権力者・北条時頼に「立正安国論」を提出された。 民衆の苦悩の声が渦巻き、平和が脅かされる危機の世にあって、〝人間の心に正義を打ち立てて、国家・社会を安寧ならしめる〝という不滅の原理を明らかにされたのである。 以来、七百五十星霜。 人類の永遠平和を決意する創価の青年たちは、「立正安国」への未聞の歴史を開いてくれている。
闇を破る大師子吼 「立正安国論」は、「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地天・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に送る」(御書一七ページ)と書き起こされている。 絶え間なく災害が打ち続き、当時の指導層には、まったく為す術もなかった。社会には、苦悶と怨嵯の哀音が満ちていた。明日も知れない。生きる希望も持てない。 時の為政者たちが帰依していた既存の宗教は「鎮護国家」を標榜してはいた。しかし一体、何を護るというのか。その内実は、権力者たちの保身であり、わが身の安泰に過ぎなかった。そこには、国土全体を栄えさせゆく哲学も理念もなければ、民衆に尽くしていこうとする慈愛も責任感もなかったのである。 それゆえに、あきらめと絶望の闇が、人びとの心を重く暗く覆っていた。その闇を鮮烈に切り裂く、勇気と希望の師子吼こそ「立正安国論」であった。 安んずるべき「国」とは、あくまで民衆が暮らす社会であり、民衆が生を営む国土である。護るべきは、民衆なのだ。 大聖人は「立正安国論」の中で、通常の「國・国」の字に代えて、しばしば「くにがまえ」に「民」と書く「国」を用いられた。 王がいて「くに」があるのではない。民衆がいてこそ「くに」もある。 その民衆のために悩み、苦しみ、祈り、戦い、時を逃さず、いかに具体的に心を砕き、手を打っていくか。 指導者に問われるのは、常にこの一点である。 ここに、我ら創価学会の変わらざる行動がある。

     ◇

 「立正安国」の精神は、国を越え、時代を超えて、普遍的な民主主義の理想とも深く響き合っている。 この六月十九日、フィリピン共和国のラモス元大統領が、わが創価大学に、わざわざ来学くださった。 一九八六年、世界が喝采したフィリピンの「民衆革命」では、アジア初の女性大統領となったアキノ元大統領と共に、新時代を開いた立役者の一人である。さらに、フィリピンの繁栄、アジアそして世界の平和に果たしてこられたリーダーシップは不朽である。 ラモス元大統領とは幾度も有意義な対話を重ねてきた。「民主主義にとって、一番大事なポイントは」と尋ねた折も、まことに明快な答えが返ってきた。 「民衆に力を与えていくことです」 「お年寄りにも、若い人にも、男性にも、女性にも、失業申の人にも、農家の人にも、『力』を与えることです。市民が自分の能力を向上させるチャンスを与えることです」 だからこそ、元大統領は、一人ひとりの市民に力を贈りゆく創価の民衆運動に深い信頼を寄せてくださっている。 民衆の大地に立っているゆえに、元大統領の信条はいささかも揺るがない。 「民主社会においては、大統領、総理大臣そして国王や女王などの重要な立場の人よりも、もっと重要な立場の人がいます。 それは、一般民衆です。民主国家ですから、主権は一市民にあるのです」 その一市民が自らの尊極なる生命の力を解き放ちつつ、それぞれの崇高な使命を現実社会で果たしゆくことが「人間革命」であり、「立正安国」なのである。

     ◇

 思えば、昭和二十二年、二度目の終戦記念日の前夜、私が初めて戸田先生にお会いした座談会で、烈々と講義されていたのも「立正安国論」であった。 難しい仏法用語などは、理解できたとはいえない。しかし、戦後の荒廃した社会にあって、苦悩にあえぐ民衆を救わんとの恩師の大情熱が、十九歳の私の胸に轟いた。 「一国のことを、さらに、この動乱の世界を考えた時、私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたいのです!」

今ここに楽土を!

 いかに苦渋に満ちた現実であろうが、そこから絶対に逃げることなく、苦悩の民衆の一人ひとりに手を差し伸べていくのだ。そして平和と幸福の世界を共に創造していくのである。 「立正安国之誓」――これが恩師の偉大なる悲願であった。これが誉れある創価の誓願であった。 「立正安国」の哲学は、平和と幸福の社会を建設しゆく主人公とは、「今、ここ」で生きる民衆自身であることを教えている。 どこか別世界を求めるのではない。遠い未来を待つのでもない。まして、決められた運命だとあきらめる必要も絶対にない。 今、自分たちがいるこの場所を、人間勝利の楽土へ、少しでもよりよく変革していくのだ。 そのまことの力は、民衆自身の中にこそある。

衆の志は城を成す

 今日六月二十五日は、「団地部の日」だ。本当におめでとう! 団地は一つの「世界」であり、小さな「合衆国」といってよい。まさに民衆の共生の城なのだ。 世界は、人と人がつながった「地域」からできている。人間が輝けば、その地域も、世界も輝く。 〝愛する地域の幸福を担うのは私だ、私たちだ!〝 あの団地にも、この地域にも、決然と「一人立つ」勇者がおられる。あまりにも尊い心の方々である。 「衆志成城」(衆の志は城を成す)――現在、私が対談を重ねている中国「中華文化促進会」主席の高占祥先生と語り合った不屈の精神である。 一人また一人と、心を合わせ、力を合わせて、幸福と安心の大城を築くのだ! 現代に「立正安国」の原理を推進するモデルこそ、わが団地部の皆様だ。



 大事なのは団結である。 ラモス元大統領も、青年たちへのアドバイスとして〝チームワークの数学〝を挙げておられた。 すなわち、他者と協力し、団結していけば、「一プラス一」は「二」だけではない。「三」にも「四」にも「五」にもなる。 その相乗効果は計り知れないというのである。 戸田先生のご逝去の翌年(昭和三十四年)、私が、深く信頼する埼玉の不二の同志と確認し合ったことも、「団結」の一点であった。 「広宣流布を目指す心で一つになり、互いに励まし合って戦っていくならば、何ものにも負けない」 勇気の埼玉は、この精神のままに、「鉄桶の団結」で、広布史に輝く数々の金字塔を打ち立ててくれた。 「異体同心なれば万事を成し」「異体同心なればか(勝)ちぬ」(同一四六三ページ)と仰せの通りだ。 異体を同心として、勇猛に攻め抜く戦いは、百倍にも千倍にも、大発展する。学会は常に、団結の力で、勝利の扉を開いてきた。 「団結こそは、人生の新しい哲学である」と、イタリアの革命家マッツィーニは叫んだ。 その新しい哲学で新しい未来を開くのだ!異体同心の団結で、赫々たる民衆の勝利の夜明けを!