金剛杵には、大きく分けて二通りの使い方があります。エネルギーを放出する使い方と、エネルギーを取り入れる使い方です。使う者の技量により使い切れないので、使用を許される段階が過去には存在したようです。独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵の順に使い方が難しくなります。通常は真ん中を持ち、両端からエネルギーを発したり、取り入れたりします。功力のない者が訳も判らず持ったりすると、身体の気が抜けてしまい腑抜けのようになったり、病気になってしまったりする危険性があります。

何の意念もなく独鈷を持つと、独鈷の先からは、まっすぐにやわらかいエネルギーが出ます。意念を持って独鈷杵からエネルギーを出すと、両端から出ていくエネルギーは大きくすり鉢状に拡がっていくように変わります。持っている人がエネルギーを取り入れる意念を持つと、独鈷杵の先から、 エネルギーが回転しながら、集約されて周囲より先端に向かって吸い込まれていくように流入します。エネルギーの回転が、持っている人から独鈷杵に向かい、向かって左は左回り、向かって右は右回りになります。また、人に作用させるときは、独鈷杵では、持つ者にとって左回りで入っていき、右から出て作用します。

三鈷杵は、エネルギーを送っていないときには、三鈷杵の一列に並んだ三つの先から、直線的な板のような境界線のように感じるエネルギーが出ています。真ん中を持って、エネルギーを送る意念を持つと、太く鋭く硬い、強固な平べったい板のようなエネルギーが境界線のように、より強力に出ます。エネルギーを真ん中から、取り入れようと作用させると、三鈷杵では、一列に並んだ三つの先端が作る平面に沿って、左右に揺らぎながら二次元的に先端に向かってエネルギーが入ってきます。独鈷杵は一点から、或いは一点に向かってエネルギーが出入りします。それに比べ、三鈷杵では、平面的なエネルギーの移動がある為、より強力でなおかつ多面的な使用方法が可能となります。

五鈷杵の先から出ているエネルギーは、中央部から螺旋状に、朝顔型の螺旋を描きながら拡がるように出ています。中央からエネルギーを入れ、先端から出すような意念を使うと、中央から真っ直ぐに一本の螺旋状のエネルギーに変化するのです。エネルギーを真ん中から、取り入れるようにと意念すると、底なしの渦に飲み込まれていくように五鈷杵の両端より周囲のエネルギーが吸引されて、回転しながら蒐集されていきます。独鈷杵の時とは違い、五鈷杵に向かって左は右回り回転、向かって右は左回り回転でエネルギーが入っていきます。また、人に作用させるときは、五鈷杵では、持つ者にとって右回りで入っていき、左から出て作用します。これも、独鈷杵とは逆になります。エネルギーレベルとしては、独鈷杵、三鈷杵とは桁違いに大きく、三次元的な空間としてエネルギーの出し入れが可能になります。

 

独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵で出入りするエネルギーの回転がどうして違うのか?と言えば、以下に示すように、それぞれ特徴的な使い方の違いがあるからです。独鈷杵は、一途に人に気を入れる様に造られています。陰陽が調和されたエネルギーが、凝縮されて出入りしています。向かって左から、天地のエネルギーを取り入れて、右で人に調和させたものにして、更に持ち手の五臓のエネルギーを付加させて、注ぎ込むという方法です。右から取り入れてはいけません。常に左から取り入れて、右から出します。

三鈷杵は、主に結界を張るために使います。それは、人と人との結界であったり、邪との結界であったり、魔との結界であったりします。三鈷は板のように働き、そこに気の結界を張り巡らせるように作用します。独鈷杵と同じく左から、陰陽調和の気を取り入れて、 右の三鈷の先から調和した気の結界を張ります。三鈷杵の先が、三つに分かれているのは、中央に守るべき人がいて、両端に結界を張るという使い方をします。

五鈷杵の使い方は、左から有形有償の気を取り入れて、右から無形の気を出します。右から無形の気を取り入れて、左から有形有償の物に、働きかける気を出します。無形と有形の境目、境界がこれに集合しているということです。真ん中を持ち、右左と向きを変えるならば、有形と無象の世界の交合成を働かせて、調和することになります。無形と有形の境界線が取り払われて、それらの世界が、まさに境界を越えた働きの出来る力となります。