スポーツは手段ではない。 | KenさんのBLOGS

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たまには真面目な主張。と言っても私の感想です。
Facebookと全く同じです。
何度も書いていますが、スポーツが手段になると色々な問題がおこります。手段とは、他に主たる目的があってその目的を達成するための方法、道具です。
人間形成、仲間作り、自己主張、金儲け、メダル獲得、勝利、名誉、楽しみ、国のため、学校のため、チームのため、家族のため、生活のため。
チャンピオンが人格者とは限りません。嫌な先輩やライバル沢山います。注目されるのは一部の人間だけです。プロでも成績が上がらなければ貧乏で首です。メダルの期待やプレッシャで潰れそうです。勝利の為には手段を選ばず。名誉なんて何の足しにもなりません。上手にならずつまらなく辛いことの方が多いかも。...
仕事としてそれで生活の糧を得て、辛いことの補償や代価として賃金を得ているのなら、手段として仕方のないことかもしれません。
スポーツが手段になると強制力や義務や責任が発生します。辛いことですね。
スポーツは自由です。多くの人にとって余暇に行う物であって誰にも強制されるものではありません、生活や人生の花であり潤いだと思ってます。気晴らし生き甲斐かもしれません。スポーツの特徴として感動の共有、体感の同期があげられます。スポーツ自体を楽しむことが大切で、その楽しさ面白さを共有できる仲間とプレーすることが最も大切なことなのではないでしょうか?
勿論スポーツをやった結果、効果として上記の様なことが期待されますが、それはおまけであって主眼ではありません。また勝利もチームワークも成長も責任も時代や時期によっては楽しい物です。しかしそれも変化します。
おかげで私は多くの仲間に恵まれています。弓道、スキー、スノボ、ダイビング、乗馬に流鏑馬、パラグライダーもパイロットライセンス持ってます。卓球 、キャンプに、釣に、遊んでばっかりですね。弓道なんて的前、遠矢前、騎射に、要前、楽しいことだらけです。やりきれない。
日本ではそのような場所や環境、考え方がまだまだ整備されていないのが現状です。スポーツ後進国、発展途上国と言っても良いかもしれません。スポーツが多くの人に親しまれ、家族や仲間と共に笑いや感動で溢れるような社会になると良いなと思います。
働き方改革、定年延長、貯蓄2000万円、生涯現役なんて言っている日本では無理かなぁ・・・ そんな社会だからこそスポーツの意味は大きいような・・・