達弘はいつも通り残業を終え、終電で自宅へと帰る。

こんな時間帯でなければ駅から自宅までバスに乗ることが出来るのだが、如何せんバスがまだ走っている時間に会社を出ることが出来る日など、月に半分もない。

達弘はそんな生活に辟易としていた。

身も心も疲れ切っているのだ。

日を跨いでから開く玄関ドアの向こうに可愛らしい奥さんや恋人がいれば、少しは救われるのかもしれないが現実は厳しい。

日々命を磨り減らして働いている為、たまの休日はずっと寝る。

そんな達弘に異性との出会いなどある筈もないのだ。

達弘は暗闇の中唯一光輝く駅舎から出て溜め息を吐いた。

こんな生活から救いだしてくれ、と心の中でいつも何者かに助けを求め続けている。

達弘は虚しさに胸が押し潰されそうになり、タバコに火を点けた。

街から離れた郊外なのに禁煙地区であることへの抵抗。

紫煙を燻らせている間ずっと、愛煙家は迫害されているのだ、と云う喫煙者ならではの被害妄想が頭を過る。

足元に吸殻をポトリと落として火を消すと、達弘は僅かに湧いた罪悪感を胸の扉にソッと仕舞い、颯爽とタクシー乗り場へと向かった。

運良く一台止まっている。

達弘は良かった、と胸を撫で下ろしタクシーに乗り込んだ。

「どちらまで?」

「○○の交差点まで」

普段出来の悪い上司にヘコヘコと下げたくもない頭を下げ続けているのだから、今後の人生でたった数分だけの付き合いでしかないタクシー運転手にまで愛想を振り撒きたくない、と達弘はぶっきらぼうに行き先を告げた。

タクシー運転手は達弘の言葉に返事をしない。

自分の態度が運転手を苛つかせてしまったか、と達弘は少しドキリとしたが、変にコミュニケーションを取ってこられるより随分マシだ、と気にするのを止めた。

無言の時間が続く。

見馴れた風景が車窓に流れる。

そろそろ目的地に到着する頃合いだ、と達弘は忘れ物がないかどうかを確かめ始めた。

帰って何を食べる?

録画してある番組の内、どのお笑い番組を選ぶ?

風呂をためるかシャワーで済ますか?

それとも全てを放棄してすぐにベッドに入るか?

こんな時間に帰宅してもやれることが限られているだけに、眠るまでの僅かな時間を達弘は大切にしている。

稼ぎは自分の城をより寛げる空間にする為の物の購入費に充てている。

最近狙っているのは電動リクライニング付ソファ。

これが手に入れば部屋は完成する。

いつになるか判らないが次の休日に買いに行く予定を密かに立てている。

そんなことを考えている内に指定した交差点が見えた。

「次の信号を越えた所で止めて下さい」

運転手は返事しない。

流石に運転手のこの態度に苛立ちを覚えた達弘は語気を強める。

「聞こえてますか?あそこですよ!」

それでも運転手は返事をしない。

「おい!」

指定した場所を通り過ぎてもスピードを落とそうとしない運転手。

「おい!止まれ!止まれよ!!」

達弘は身を乗り出して運転手の肩を強く掴んだ。

そうこうしている内に目前の信号機が赤へと変わり、タクシーは意外にも停車した。

達弘はここぞとばかりにドアを開けようとする。

しかしドアはロックされており開かない。

「ど、どうなってんだ!!?」

達弘は力ずくでどうにかしようとするが、ドアは当然の如くビクともしない。

異常事態だと察知した達弘は窓を力の限り叩き、そして腹の底から大声で助けを求めるが、道行く数少ない人影には届かない。

どうやら完全に防音されているようだ。

「助けて下さい!有り金全部渡しますから!このことは誰にも言いませんから!!」

まるで達弘の懇願がサインであるかのように信号は青に変わり、タクシーはスピードを上げた。

達弘は絶望する。

一度は止まった赤信号・・・、最早そんなものではタクシーはスピードを落とさない。

アクセルを踏み続ける無言の運転手。

何も言わぬ運転手に絶望し頭を抱えるしかない達弘。

どうしようもなくなると人間はただ一つの行動も取ることは出来ぬ無力な存在となる・・・。

そんな達観めいた考えを頭に過らせた達弘はふと顔を上げた。

あまり見馴れない風景が視界を流れた。

「ま、まさか・・・」

高速道路。

「お・・・、おい!やめろ!!どうする気だ!!?」

しかも逆走。

「やめろ!やめろやめろやめろやめろやめろやめろーーーーー!!!」

運転手は無言のままアクセルを完全に踏み込んでいる。

「止めてくれ!!お願いだから止めてくれ!!!」

深夜で走っている車が少ないのだけが救いだったが向こうから大きなトラックが二台、ほぼ並走してやって来るのが見えた。

「ぶつかる!!止めろっっ!!ぶつかっちまうだろうがーーー!!!!!」

運転手は突然達弘の方に振り返った。

凍りついたような無表情。

「お客さん、こんな人生から逃げ出したかったんでしょう?」

「えっ?」

達弘は不意を突かれてポカンとした。

「だからここで終らせてしまいましょうよ、あなたの人生をここでね」

人生に絶望している若者と謎の運転手を乗せたタクシーは、二台のトラックが発する光へと吸い込まれて行った。