劉毅に此処で結構…と言われた場所まで見送った桔梗と明々は西跨院にとって返した。
西跨院の前庭に入ると桔梗は深刻な顔で声を落とした。
「明々、さっきの事旦那様には絶対知られないように内緒よ…」
口を閉じる仕草をして見せた。
明々は無い胸をドンと叩いた。
「無論よ。あんな事旦那様に知れたら大事になる」
「あんな事とはなんだ?」
二人の目の前に立って居たのは令宣だった。
「「うわああああ…」」
二人は度肝を抜かれ腰を抜かした。
桔梗が吃った。
「だだ旦那様ななななんでもありません!」
明々も両手を振って全否定した。
「そ、そ!そうです。あ、さっきネズミが出たんですネズミですネズミ…それで驚いて」
「誤魔化すな。ネズミ如きで何故大事になるんだ」
二人は首をすくめて蛇に睨まれたネズミならぬ蛙のように小さくなった。
「今正直に云うなら許してやる」
二人とも口を閉ざした。
桔梗は開き直った。
「痩せても枯れてもこの桔梗。西跨院の事は外に漏らしません!」
明々もびくつきながらも根性を見せた。
「そそそうです。ば、ば罰するならどうぞ罰して下さい!」
令宣の目が一層細くなった。
「ほお…お前達いい度胸だな…」
「ひえええ…」
二人は怯えまくった末に揃って土下座した。
背後から十一娘の笑い声が聴こえた。
「ほほほ…旦那様、桔梗と明々をからかうのはお止め下さい…」
二人はハッとして頭を上げた。
十一娘が二人の手を取って立ち上がらせた。
「二人とも立ちなさい…心配しなくていいのよ。旦那様には今お話ししたわ…」
「えっ!奥様ほんとに?」
桔梗は明々と手を取り合った。
「あなた達に余計な気苦労をかけて悪かったわね。でも嬉しいわ、貴女達が西跨院を思ってくれる気持ち。やはり二人とも私の家族よ」
二人はじ~んとした。
「奥様…」
令宣が断言した。
「お前達の忠誠心には感心した。主人の事を端から告げ口するような者ならお前達を解雇しなければならないところだ。今後も奥様を助けるんだ」
桔梗と明々は晴れ晴れとした顔で頷いた。
「私と旦那様は一心同体なの。どんな事も包み隠さず話すわ。それが一時耳ざわりの悪い事でもね…」
十一娘は令宣に寄り添った。
令宣は妻を抱き寄せた。
「お前達をからかって悪かったな」
二人は恐縮した。
「いいえ、滅相もない」
居間に落ち着くと令宣は茶を呑みながら十一娘の話に耳を傾けた。
「表面上はあのお二人反発ばかりしていたようですけど私はとてもお似合いだと思いました…」
「ふむ、劉毅は少々変わり者だが劉太医の後押しもある。必ず出世するだろう…團巌先生も劉医師なら娘婿として不足はない筈だ。…そう言えばお前も嫁ぐ前から私に反発ばかりしていたな…私を意識していた証拠だな」
十一娘は首を傾げた。
「私がですか?あの頃から旦那様に惹かれていたのでしょうか?自覚はありませんけど?」
「そうに決まっている…私に惚れていたのだ」
「あら?じゃ旦那様の方はどうなんですか?私をどう思っていらしたんでしょうか?」
「私はだな…公務に追われていたから女子の事など眼中に無かった筈だ」
「ええっ?酷いじゃありませんか。それじゃ一方的に私が旦那様を意識していたとでも?」
「そうは言ってない…西洋にはこんな諺があるそうだ。愛は男にとって人生の一部に過ぎないが女にとっては人生の全てだとな」
十一娘はガタンと暖閣から立ち上がった。
「旦那様、あんまりじゃありません?その断定の仕方は?旦那様にとって私は人生の一部に過ぎないんですね?それに女だって簡先生のように仕事に生きる方もいます!女性を見下さないで下さいますか?」
令宣は湯呑みをガチャリと置いた。
「お前は結論を急ぎ過ぎる。そういう諺もあると言っただけだ…それにお前は二言目には自立がどうのと…頭を冷やせ…上奏が残っている。半月溿に行く」
肩で風を切って出てゆく令宣の後ろ姿を十一娘と侍女の二人がぼ〜っと見送った。
十一娘が膨れ面でこぼした。
「もう…旦那様も気が短いんだから」
桔梗がそっと明々に耳打した。
「痴話喧嘩痴話喧嘩…」
明々も肩を竦めた。
「犬も喰わない…夜になればまた元通りよ」
「だね…!」
その夜、上空に月が懸かる頃令宣が西跨院に戻って来た。
十一娘が令宣の着物を解きながら呟いた。
「旦那様、私に腹を立てて今夜は戻っていらっしゃらないのかと思いました」
「急に範偉綱が尋ねて来たのだ。それで遅くなった」
十一娘が令宣の背中に頰を当てた。
「そうなんですか…もう怒ってらっしゃいませんか?」
令宣はくるりと向きを変えると妻を抱いた。
「馬鹿な…お前に怒ったりするものか…平然としたふりをしていたが本当はお前が他の男に手を握られたと聞いて酷く嫉妬心に駆られていたのだ」
「…旦那様、お医者様には悪いのですけれどすぐにその手を洗い流しました…旦那様以外の方に触られたくありません」
令宣は一途な気持ちを告白する彼女の愛らしい唇に惹きつけられた。
「十一娘…!」
「旦那様…」
十一娘は烈しく唇を吸われた。
令宣は妻の衣服を性急に剥ぎ取り
彼女を生まれたままの姿にすると寝台に運んだ。
彼の指は期待に膨らみしっとりと濡れた肌に触れた。
「十一娘…愛している」
「旦那様…令宣…あゝ…」
侍女二人の予測通り夜のあいだ急速に事態は収束が諮られたのであった。
