~喬姨娘の居間~
蓮房の侍女が嘲りを含んだ声で言った。
「正室になったとは言え、主母には相応しくないですね。計略を巡らせただけであっさり退却しましたね」
「時勢を知る者は俊傑。彼女は身の程を分かっている。これまで徐家を管理してきて庶女などに負かされてたまるものか」
蓮房の肩を揉んでいた乳母が「でも喬様は今は家事を司っておられますが、名正しからざれば則ち言順わず、今後あの庶女が足元を固めたら厄介ですよ。いっそ権力を握っているうちに勝利に乗じて追撃してはいかがです?」とけしかけた。
「何か方法がある?」
「二奥様は家事を管理する余裕がない。五奥様はする気がない。あの庶女だけが奥様に対抗しますよ。なので最初から名目を決めるべきです」

再び布地倉庫の前庭~
喬姨娘の侍女が周乳母にしきりに茶と菓子を奨めている。
「周乳母どうぞ、喬姨娘が作った桂花菓子よ。召し上がって」
「よく覚えてくれてるねえ。配慮が行き届いてる。頂くわ」
ぱくぱく菓子を頬張り繍緣が煎れた茶を啜る。
「今回の蜀江の錦、素晴らしいと聞きました。でも、喬様の手には何が配られるんでしょう」
繍緣の言いたい事は分かっているがそう易易と規則を破る訳にはいかないので周乳母ははぐらかした。
「うふふ・・美味しい」
「周乳母、喬姨娘が家事を取り仕切っても功績にはなりませんが、でも苦労はされてます」
「はいはい・・」
「奥様が嫁入りされてから喬姨娘には良い品が届かなくなりました。喬様がお気の毒です」
「確かに、喬姨娘は家柄が申し分ないね。人柄も優しいし、誰もが褒めるよ。
旦那様は最近夜は半月庵から出てこないって言うし。まだ新婚なのにねえ。
喬姨娘は大奥様に贔屓されてるし、そのうちいい暮らしが待ってるんじゃないかい?」
侍女が頷いて周乳母の茶碗に茶を注ぎ足す。
「その蜀江の錦のことだけど・・」
周乳母は一呼吸置くとにやりと顔を寄せてきた。
「喬様に伝えて・・私に任せろ、とね」
後添と言っても庶女は庶女だ。
喬家の嫡女には適うまい。

結婚8日目
[恩寵の蜀江の錦騒動]
翌日周乳母のところから西跨院へ二本の錦が届けられ、今冬青と琥珀の前にはその新しい錦があった。
十一娘は顔を上げず刺繍に没頭していた。
そこへ陶乳母が入ってきて二人が触っている錦に気がついた。
「あら、錦が届いたんだね。見せて」
陶乳母が近寄って生地を手に取りしばらく感触を調べていたが、
「これ、違うよ!!」
「「え!?」」
冬青と琥珀が陶乳母の大声に驚いて目を見張っている。
「候爵家で長年勤めて来て奥様にこんなものを配るのは初めてです!」
冬青と琥珀は改めて手元の布地を触って確かめている。
陶乳母が叫んだ「これは奥様の配分なんかじゃありません」
「奥様~!」冬青が憤った。
「旦那様が来なくなるとすぐに奥様をイジメ始めた」
陶乳母は「これは奥様の地位に係わります。決して譲れません」と怒り狂っている。
「行って周乳母に聞いてきます!一体何がしたいのか」
十一娘は陶乳母の興奮を宥める。
「陶乳母、いいよ無益なことで争う必要はない」
「でも奥様、ここの人達は弱い者を虐めるんです。初回で譲ったら虐め易いと思われます!尊卑先後の序があり、無礼は赦されません。彼女に言ってやります」
大人しい琥珀までが「奥様、陶乳母の言う通りです。道理を弁えて貰わないと」と同調した。
十一娘はふっと吐息をついて言った。
「周乳母や使用人達にそんな度胸があると思うの?」
「奥様どういう事です?」
「言い含められたのよ」
冬青が驚いて言った「まさか大奥様が?」
琥珀が否定した「大奥様はそんな事しないと思うわ。家事を取り仕切るのは喬姨娘・・」
「喬姨娘!?彼女が唆したんならもっと騒ぐべきだわ、あの裏表女!」
冬青は怒り心頭に発していたが十一娘は平然としていた。
「名門の嫡女なのに妾に落とされた不運な人だわ。全然気にしない。放っておこう」
悔しがる三人「「奥様~~~~ぁ」」
「もういい」
しかし怒りの収まらない陶乳母は十一娘の制止も聞かずそのまま出て行ってしまった。

~対決~
布地の倉庫部屋から出て来た周乳母は目を怒らせた陶乳母と鉢合わせた。
「おや、偶然だね、手間が省けたわ」
「陶乳母。何か?」
「ハハハハハハ・・何かって?分からないのかい?奥様の錦をよこせ!」
「錦は、とうに届けたのでは?」
「あれはなんだ!?」
「しきたりに従ったんだよ、異議があるなら喬姨娘に言い付けたら?」
「喬姨娘に言い付ける?は?馬鹿にしてるのか!共謀したくせに」
「面白いことを言うね」
「たかが喬姨娘!奥様に喧嘩を売る気か?ただの老いぼれが!」
「誰がだ」
「あんただ!」
「言っておくけど、今は栄えててもいつかは駄目になるかもよ」
「誰が駄目だって?あんたは今日駄目にしてやる」
陶乳母が周乳母を押し倒した。

喬姨娘の前庭で座らされている二人がいた。

周乳母がしきりに自分の手や額を指差して訴えている。
「喬姨娘!後ろ盾になってくださいよ。この人有無を言わさず喧嘩を売ってきたんです。ほら、ここを見てください。ここも、ここも、」
陶乳母も負けていない。
「盗人猛々しい!何をやったか分からないのか?」

喬蓮房が部屋の前に置かれた机から裁判官よろしく見下ろしていた。
「理があれば人を傷つけて良いなら騒乱が起こるでしょう、誰から先に手を出した?」
「陶乳母からです!皆も見たはずです。私は手を出してない」
「いざこざを起こした者は罰するべき。誰か!陶乳母に板打ち20回」
陶乳母は雑用係の女達に捉えられて板打ちの体勢にさせられた。
陶乳母は押さえ込まれながらも必死に叫んだ。
「違う!これは私憤を晴らそうとしてるんだ。これで信頼されるとでも?奥様の足元にも及ばない。家事を仕切るのも今だけだ!」
喬姨娘は怒りの為に立ち上がり激昂して付け足した。
「奥様が仕切りたいなら私にお願いに来なさい!こんな女に言わせなくても。傲慢で私まで侮辱するとは。板打ち10回追加~!」「あんた。よくも!」
「やめよ!」
突如、冬青と琥珀を従えた十一娘の声が響き渡った。
はっとした喬蓮房は言い訳をした。
「奥様、陶乳母が先に手を出したのです。もし旦那様に聞かれたら管理が行き届かないと叱られるのでは?」
「管理が出来ない?だから私まで管理しようとするのね」
「私はただ使用人を罰しただけです。奥様は何故私に汚名を着せようとなさるのですか」
「冬青、琥珀。陶乳母を立たせて」
「「はい!」」
十一娘の表情には誰も逆らえない威厳が表れていた。
「彼女に何かあれば西跨院に言いなさい。私が罰する。喬姨娘は私に声もかけずに彼女を罰しようとした。私の事は眼中にないようだわね」
「そんな事はありません。ただ大奥様から家事を執るよう仰せつかっておりますので」
「大奥様と言うと思い出した。陶乳母は諄ちゃんの乳母で、諄ちゃんは大奥様の元で育っている。言わば陶乳母も半分福寿院の配下だわ。私にも大奥様にも言わず独断で仕置きをするのはどういう了見?」
十一娘の叱責は理路整然としておりつけ入る隙が無かった。
喬蓮房は唇を噛んだ。
「・・・申し訳ありませんでした」

その夜福寿院~
姥やが大奥様の肩を揉んでいた。
「今日、蓮房のところで騒ぎがあったらしいな」
「はい、恩寵の錦の件です。周乳母が正室の配分を喬姨娘に届けたのです。妾の配分を四奥様に届けました。陶乳母が納得行かずに二人が争いに…」
「どう思う?」
「・・・」
蓮房は大奥様のお気に入りだ。
正面切って断罪しにくい。
「お前も私に何十年も仕えた。正直に言え」
姥やは揉む手を止めて答えた。
「はい、配分には決まりがあります。公私混同を許せば秩序を乱すことに・・」
大奥様はフーっと息を吐いた。
「蓮房は心が急いたのだな・・」
「そうですね」と再び腕を揉み始めた。