【栗本奈央ヒストリー】を
お伝えしております。
前回の記事⇒栗本奈央ヒストリー⑩
【栗本奈央ヒストリー⑪】
中学生になり益々、バレエに没頭する日々を過ごしていました。
とにかく練習練習。
上手になりたかったら練習する!!
そんな毎日で、バレエに行けない日でもバレエのビデオ(懐かしいW)
をみては研究してました。
そんなある日、先生から
故大屋政子理事長が審査員をしているパリの国際コンクールへ出ないかとお話を頂きました。
コンクールにも出たことがなかったのにいきなり海外のコンクールへ・・・
と、思いましたがやっぱり出たい!!海外を見てみたい!!とワクワクが高まり
母と資金の相談をしながら出場することに決めました。
私、きっと幼少の頃からなんでしょうね・・・
とにかく悩むなら出る!!とか
とにかく行動する!!とか
結果を恐れる前にとにかくまず動く!!
とか、今もそんな感じなんですがこの頃からだったんですW
そんな私でしたので、母はすごいなぁ~と思います。
なぜなら、私がしたいことに対してNOといったことがなかったからです!!
『なおちゃんがしたいならやってみたら!!』と言った具合に
チャレンジさせてくれて、そして心から応援してくれました。
今みたい航空運賃もまだまだ安くなくて、かなりの費用がかかったはずなのに・・・
ホント、あり難かったです
(なんせ普通の会社員のシングルマザーでしたから、そんな裕福な家庭ではありませんでした・・・)
それから、コンクールに向けてのバリエーションの練習が始まりました。
初めての海外
初めてのコンクールの挑戦の始まりです
続き⇒栗本奈央ヒストリー⑫
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