だいぶ前になるが、こんな本を読んだ。


宮本 輝
葡萄と郷愁

内容は2部に分かれていて、一部が日本の若い女性、もう一部はハンガリーの若い女子大生の物語。

日本の若い女性は結婚相手として、学生時代からの恋人より、自分に求婚して来た将来の外交官を選ぶべきかどうかと迷っている。

ハンガリーの女子大生は、ひょんなことからアメリカに渡って研究するという、彼女にとっては夢のようなチャンスを得て、その話にのろうかどうしようかと迷っている。


いずれにしろ、この二人の若い女性は偶然巡り合せた「人生のチャンス」というものに対して臆病になっているのである。


まー、私ならハンガリーの女子大生の場合文句なくアメリカへ行っちゃえよー、と思うのだが、


日本の女性の方は、

長年付き合ってちょっとマンネリ気味のある今カレ、そこに自分をとっても愛してくれる将来性ある男性が現れプロポーズされ、とっても心が揺れるのを見て、私でも悩むかなと思った。


自分を好いてくれているから、未来の外交官夫人になれたら素敵だから、その人を結婚相手として選ぶのか。それはあまりも打算的ではないか。今のカレが可愛そう! とかなんとか。


ネタばれになるが、この小説では彼女は結局未来の外交官夫人になる道を選んでいる。


その選択にはいろいろ是非があると思うが、私は思う。

迷うといっても心の中では、天秤は必ずどちらかに傾いているものだ。結局彼女の外交官夫人になるという魅力に、糟糠の今カレは勝てなかったのだ。


もちろん彼女その外交官の卵と結婚したところで、絶対幸福になれるかどうかはわかりはしない。

将来に何が起こるかわからないし、そのとき「あー、やっぱり元カレを捨てるんじゃなかった」と思わないとも限らないから。

しかし同時に今のカレと結婚したとしても、「あー、あの人と結婚していれば今ごろは外国でセレブと・・・」と後悔しないとも限らないのだ。


人生は選択の連続である。そしてどちらを選ぶか、それはそのときの気持ち次第。


だけど、それでもどうしても決められないという場合・・・

時間が決めてくれることもある。