四月某日

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午前2時にもなると、私はいつも暇になる。
ふと思い出したブログのことを、朝になったらきっと忘れている。けど今は気になって仕方がない。身勝手が1番の武器である。




意外といい文章書く去年の自分へ。
今年は文章こそ書いてませんが、楽しく日々を謳っています。あなたがこの1年で出逢う全ての人が今日の私を鼓舞しているよ。だから、どうか1年経ったら私のような人になること。それだけが約束だ。

 


写真のように日々が胸に焼き付いている。
地下鉄に乗って、空を飛んで、船に乗って、誰かを抱きしめに行こうかなって、思っちゃったりするよね?しないかな?しちゃったのさ。




「拝啓、まだ髪の長いあなたへ」


3月某日

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あっ!!!!!!!


っという間に3月。


いっ!!!!!!!

と言ったら4月になってるような気もするので、一歩ずつ踏みしめていけたら、という心境です。



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ヒハマタノボル。
なんて素敵な言葉なんだろうか、このまま新曲の題名、はたまた新譜の題名にしたいくらいだ。でもどれだけ足掻いても沈むのも事実で、どれだけぐうたらしていてもまた昇るのである。昔から 山あり谷あり や 紆余曲折 といった言葉に誤魔化されているような気がしてならない。調子に乗っていたらいつか転落するし、めそめそ泣いていたら吉報が届くように出来ている。不思議なことに、二本足でしっかり立ってる自分自身よりもそんな不確かなルーティーンを信頼してしまっている。刷り込まれた模様は洗っても洗っても落ちる気配はなく、元の生地の色だけがどんどんと褪せていくだけだ。不思議だ。

「サヨナラと書いたメモ用紙を部屋のどこかに隠しておいた、君が見つけるまでは一緒にいれることにする。」この文章もまた不思議だ。誰が何を望んでいるのかわからないが、サヨナラの可能性を示唆してしまう人間という生き物は不思議だ。


世の中には、気づいてしまった人だけが不安になるシステムが多すぎるんではないか。何もアンテナを張らずに、ただ流れに身を任せ、髪にグリースを塗りたくり、室内なのにサングラスをして、はたまたリムジンを借りて自撮りをして、爆音のEDMとレーザービームの中、生まれる愛だってある。不思議だ、不純なのは私の心なのかもしれない、そう気づいてしまったから、また今日も星一つない空が白けていくのを待ってしまった。


そうやって捻くれていく心も、昇る朝日は肯定してくれるような気がするんだ。ヒハマタノボル、私の人生は何度だって繰り返し繰り返し、悲しみ、笑い、感動し、苦しみ、終わっていくのである。もしそこに気づいてしまった人だけが、取捨選択を出来るのであれば、私は誰かに「ヒハマタノボル だから大丈夫だ。」と伝える人生にするのも悪くない、そんなことを思ったんです。




またね。




「タチアガレ愚者根性」