学生のころ、国語の授業で初めて出会った谷川俊太郎さんの詩「朝のリレー」。

世界を知らない十代の私は、この詩を読んだ瞬間、胸の奥がジワーんと動いたことを今でもはっきり覚えています。


当時はまだ、地球の広さも、人々の生活も、世界が24時間どこかで動き続けていることも、頭では分かっていても「実感」なんてなかった頃。

それでもこの詩を読むと、知らない土地で息づく誰かの生活が、心の中にふわっと浮かんできて、不思議な温かさで包まれました。



そして、53歳になった今。

久しぶりにこの詩を読み返してみると、学生の頃とはまったく違う場所に胸がジワーっと動きました。


若いころは、ただ世界の広さに心が広がるような感動でした。

けれど今の私は、

世界の広さよりも、世界の「営み」のつながり、誰かの日常が誰かの日常につながっていく、そのやさしい循環に深く心うたれます。


ぼくらは朝をリレーするのだ

経度から経度へと

そうしていわば交換で地球を守る


人はみな、自分の暮らしを淡々と続けているようで、実は見えない糸でつながっていて、

眠る私がいれば、目覚める誰かがいる。

頑張る私がいれば、同じように頑張っている誰かが世界のどこかにいる。


それはあなたの送った朝を

誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


自分の過ごしてきた日々。

忙しく走り抜けた日も、うまくいかなかった日も、泣きながら眠った夜も。

その全部が、どこかで誰かにつながっている。


私は片付けや暮らしの仕事をしているので、日々、お客様の家でいろんな「生活の音」に触れます。


朝ごはんの匂い

子どもの支度のバタバタ

洗濯機の回る音

カーテンの隙間から入る光


誰かの「朝」を一瞬だけ見せてもらうと、人の生活ってなんてあたたかいんだろう、としみじみ感じます。


そして思うのです。


それは「朝のリレー」の世界に、私たち一人ひとりがちゃんと参加しているということ。

眠る前に目を閉じて耳を澄ますと、

世界のどこかで目覚めのベルが鳴っている。


その音は、あなたの今日の営みが、だれかにちゃんと届いた証拠。

そう思うと、なんて優しい世界なんだろう、と胸が温かくなります。


今日も誰かの朝を受け取りリレーできることに感謝して過ごします。



 「朝のリレー」


 カムチャッカの若者が

 きりんの夢を見ているとき

 メキシコの娘は

 朝もやの中でバスを待っている

 ニューヨークの少女が

 ほほえみながら寝がえりをうつとき

 ローマの少年は

 柱頭を染める朝陽にウインクする

 この地球で

 いつもどこかで朝がはじまっている


 ぼくらは朝をリレーするのだ

 経度から経度へと

 そうしていわば交換で地球を守る

 眠る前のひととき耳をすますと

 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる

 それはあなたの送った朝を

 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ



(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)