本日のテーマ
【喜びの質】
時として人は、喜びを感じることがあります。
その喜びとは、願うことが叶ったり、欲しいものが手に入ったり、自分にとって良い結果が出た時に起こる感情の表現です。
何を喜びとするかは、その人の持ち備える価値観によって“喜びの質”も違ってきます。
シスター渡辺和子氏は著書『「ひと」として大切なこと』の中でマザー・テレサの行いから生じる喜びの質をこのように比較しています。
「…食べるものといったら、チャパティーという野菜を中に入れたメリケン粉を焼いたもの。朝は四時半に起き、お祈りをなさって、それから、みなし子、ハンセン病者、ホームレス、死にかけの人、そういう人の世話を毎日毎日していらっしゃいます。それによってなにが得られているか。お金も名誉もなにも得られない。一方、自分の体は擦り減っていくばかりです。にもかかわらず、働いている人たちの顔は喜びに溢れているのです。今、日本の国で、飽食の時代に、おいしいご馳走を食べ、毛皮のコートに身を包み、外車を乗りまわし、立派な家に住んでいる奥さまに、あの喜びの顔は見られません。その方たちの笑顔というのは、マザー・テレサや、そのシスターたちの笑顔と質が違います。それこそ、どこかの豪華なパーティーに招かれた喜び、誰誰さんよりもっと高価な毛皮を手に入れた喜び、外車を買い替えた喜び、子どもが東大に入学した母親としての誇りの喜び。その喜びと、マザー・テレサのシスターたちが、一人の生き倒れの人がその手の中で『ありがとう』と言って安らかに死んでいく、その顔を見ながら、『ああ、良かった、あんなに辛い思いをして生きてきた人が、死ぬ時に“ありがとう”と言って死んでくれた』『ああ、これで魂を一つ神さまのもとに安らかに旅立たせることができた』と思う時の喜びと同じでないのです。またみなしご子を食べさせてやって、そのお腹をすかした子が嬉しそうにパンを食べている、その姿を見て自然にほころぶシスターたちの喜びの顔、その喜びとは質が違うのですね。皆さん方もなにかの時に考えてみてください。自分の喜びは、どういう質の喜びなのか」
渡辺和子氏のこのお話は、わたしの胸に響きました。
マザー・テレサやシスターたちの“豊かな心”は、自分ことではなく、人の喜びを自らの喜びにしていました。
これこそ最高の質です。
豊かな国だからこそ、豊さを追求しなければならないことがあるように思います。
マザー・テレサは来日したときに言いました。
「日本は本当の豊かさを持っていない…」
また、日頃より「愛の反対は無関心」と言っています。
今日の日本に必要なのは、恵まれていることに心から気づき感謝することではないかと思います。
