本日のテーマ 

【自分の“人生のミッション”を

見つけた瞬間】

 

 

「自分の人生のミッションは何ですか?」

 

この問いは、なかなか答えられないかもしれませんね。

わたしも自分の人生のミッションを見つけるまでには多くの時間を要してきました。

 

今までにも、複数の人から

「自分の人生のミッションをどう見つければいいか?」

と聞かれることがありました。

 

わたし自身の経験でいえば、こんな言葉がとても参考になりました。

オーストリアの精神科医であり、心理学者のビクトール・エミール・フランクルはこのように言っています。

 

「人生におけるミッションというものは、つくるものではなく発見するものである」

 

この意味は、すべての人がもともと自分の中に持っているものという意味にも取れます。

今のわたしは、本当にその通りだと思えます。

それというのも、この言葉のように、人生のミッションをつくったのではなく、発見したからです。

 

また、フランクルはこのようにも述べています。

「すべての人は、人生における独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。その点において、誰もその代わりになることができない。そして自分の人生を繰り返すこともできない。したがって、すべての人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである」

 

誰も代わりができないものであり、その人の実施する独自の機会があるということです。

このこともそう思えます。

 

わたしは自分の人生のミッションを発見しました。

そのキッカケとなった2つの出来事がありました。

一つは、22才の時の交通事故でした。

当時の事故現場で、大破した車を見た人たちの誰もが、

「運転手は助かっていないだろう…」

と言っていたそうです。

奇跡的に助かったとしか言いようのない事故でした。

その後、病院に搬送されますが、医師からは左足の切断を覚悟して下さいと告げられました。

(今では奇跡的に左足のケガも回復し普通に歩けるようになっています)

 

この事故の体験から、わたしは人生を真剣に考えるようになりました。

その後、こんな疑問がつきまといます。

「なぜ助かったのか?」

「自分は何のために生きているのか?」

 

二つ目が、その後20数年経った時に、自営していた会社を倒産させ、自殺を決意することになります。

この時は、一度の失敗ではなく、何度も失敗し続け、「自ら死を選ぶことが人に迷惑かけずに済む」と素直に思っていました。

 

当時は苦しく、やるせない日々を過ごしましたが、じつは、この二つの不幸な出来事が人生のミッションを発見するキッカケとなったのです。

 

 

ある時に、こんな思いが湧きあがってきました。

「世の中には、自分と同じように苦しんでいる人がいる。もしかしたら、苦しんだ経験を活かすことにより、何かお役にたてることがあるのではないか…」

 

この瞬間、人生のミッションが発見されました。

そこから、

 どうしたら苦しみを乗り越えられるか?

 どうしたら幸せになれるか?

 人生を成功させるために何が必要か?

これがテーマになり活動がはじまりました。

 

今思えば、

「あの時、人生のミッションを発見していなければどうなっていただろう?」

そんなことを考えることがあります。

きっと、“ただの苦労した人”で終わっていたでしょう。

 

今のわたしは“生きる意味”をしっかり持っています。

「生きる意味」を発見させてくれたのも、あの不幸な出来事でした。

 

「生きる意味とは何か? 生きる目的(ミッション)を持つことにより、生きる意味は自然と生じてくる」

 

 

もしかして、過去の不幸な出来事をそのまましている人は、捉え方を変えたら、“人生のミッション”を発見するキッカケになるかもしれません。