本日のテーマ
【人格をつくるために謙虚になる~】
謙虚な人間になりたいですね。
なぜ謙虚な人間になりたいか?
それは、謙虚な人は、‟何か凄さをもっている人”と思えるからです。
18世紀ドイツの詩人のレッシングの言葉です。
「すべての偉大な人々は謙虚である」
“謙虚さ”は、人格形成のためにも必要なもので、昔より言い継がれ教えられてきたことです。
謙虚さを忘れない戒めの言葉には、
「実るほど頭を垂るる稲穂かな」
があります。
(稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ)
わたしは謙虚な人間を目指していますが、こんな人たちに憧れています。
明治時代を生きた、
西郷隆盛
東郷平八郎
乃木希典
です。
この人たちに底知れぬ謙虚さを感じます。
特に東郷平八郎に謙虚さを感じました。
明治38年の日露戦争において、世界の強豪であったロシア軍のバルチック艦隊を壊滅させた海戦で指揮を取った連合艦隊司令長官東郷平八郎はいつも謙虚な姿勢を忘れませんでした。(最終階級:元帥海軍大将)
東郷大将には日頃からの口癖がありました。
「天祐神助(てんゆうしんじょ)」
意味は、
勝っても驕(おご)らない。自分が出せた良い成果や勝利は、思いがけない幸運は自分だけの力ではない。何かの力(天の助け)があってのこと、と謙虚な心をもつこと。
そんな東郷大将はいつも驕ることなく、謙虚に訓練を積み重ねていました。
東郷大将はこんなことを言っていました。
「訓練には制限はありますまい」
明治38年バルチック艦隊との戦いを目前に訓練に励んだのですが、その訓練にも東郷大将の謙虚さが表われていました。
それについてエピソードがあります。
弾薬の一年分を10日間で消費してしまう激しい訓練をしました。
雨の日も風の日も弁当持ちで訓練に立ち会ったのです。
司令長官がそこまで訓練に牽引車(けいいんしゃ:集団の先頭に立って行動する人)になったのは海軍の歴史でも空前絶後(くうぜんぜつご:過去にも例がなく、将来もありえないと思われること)のことでした。
戦闘中も一番危険なところに自らとどまり、部下たちに安全な場所に身を隠すよう指示したといわれています。
日本海海戦で最強国ロシアのバルチック艦隊に勝利した後でも東郷大将は、偉ぶることものなく、いつも腰を屈め、下向き目線で日常を生活していたといわれています。
まさしく「天祐神助」に感謝する気持ちが表われていたのでしょう。
わたしはこういう人間を目指したいです。
すべては自分の実力だけでなく、何かの力に助けてもらったことに感謝の気持ちを忘れず、謙虚に生きることを。
わたしは、謙虚さをこのように捉えています。
「まだまだ自分は成長の途上であり、何かの力の助けや支えによって生きていることを認識すること」