鼓芝居 横井庄一 by 溝端健太 | 幡新大実|Omi Hatashin's Blog

幡新大実|Omi Hatashin's Blog

This blog intends to display Omi Hatashin's thoughts and feelings from time to time.
hp: http://hatashin.com
blog: http://ameblo.jp/kupferhaus
facebook: https://www.facebook.com/omi.hatashin
twitter: https://twitter.com/Seahorn3

 2024年9月21日(明日は、故横井庄一さんの満37回目の祥月命日です)、神戸市の若者、溝端健太さんが、ついに横井さんの帰国後のお家のあった名古屋市内(公益財団法人名古屋市文化振興事業団の西文化小劇場)で、鼓芝居『横井庄一』を実演しました。

 朝日新聞編集委員の伊藤智章記者の事前の紹介記事が効いたのでしょうか、立ち見が出るほどの大盛況でした。 

 

 溝端さんは、飯盒炊爨(はんごうすいさん)をやるうちに、マッチやバーナーを使わずに火をおこしたいと思い立ち、動画を調べるうちに、偶然、横井庄一に出会ったのだそうです。当初は、横井さんがどうやって火をおこしたのか(横井さん、ご本人は、何よりもこれに一番苦心したと言っていましたが・・・)に興味があったはずですが、溝端さんは、動画を見て、横井さんが木の内皮の繊維から糸を縒って、機織機まで自分で作って布を織り、砲弾の破片から針を作って裁縫して洋服を仕立てたということを知り、度肝を抜かれたのだそうです。それで、さらに興味を持って回顧録の『明日への道』文藝春秋社1974年や、同氏の妻の横井美保子(私の叔母)『鎮魂の旅路~横井庄一の戦後を生きた妻の手記』ホルス出版2011年、そして「切り絵」の亀山永子さん『よこいしょういちさん』ゆいぽおと2020年を読み漁って、コロナ禍の中で、横井さんの苦労を思えば、自分の苦労が小さく思えて、元気をもらったので、それを社会のみなさんと共有したいという思いから、鼓芝居を創作したのだそうです。

 

 その発想が、ひとつひとつ本当に現代っ子で、その現代っ子らしい切り口で横井庄一さんに興味を抱いたこと自体に、戦争を知らない、横井さんからみれば「頼りない」戦後世代の私も、色々と励まされるところがありました。

 とくに、今日の開演前の解説では、まるで溝端さんが内容を自由に「編集」したような言い方でしたが、その実、太鼓の音に載せて語られるセリフをひとつひとつ『明日への道』から忠実に抜き出し、一部、『明日への道』出版後の横井さんらしい言葉を、美保子夫人の『鎮魂の旅路」から抜き出し、横井さんのグアム島一万日の日々を支えたタロホホ川の現地チャモロ語での意味である『明日への道』をその著書(「本」)の名前にするという部分を、太鼓の「音」に変えただけで、あとは全部、横井庄一さんの言葉を忠実に再現したという、非常に著作者の「同一性保持権」に徹底して敬意をあらわした仕上がりでした。私自身、弟の上宙(たかおき)が『明日への道』の英訳に取り組んだのを受けて、それにイギリスで修正を加え、さらに解説と後半生を英語で自ら書き下ろしたPrivate Yokoi's War and Life on Guam, 1944-1972をGlobal Oriental出版社から2009年に上梓した経験があるのですが、溝端さんは、横井さんの義理の甥の一人に過ぎない私以上に、戦友の遺骨を故郷の日本に持って帰り、戦友の生き様、戦い、そして無念を政府に報告するという横井さんの切実な思いと情感を、心臓の鼓動のような太鼓の響きに載せて、しみじみと伝わる上演を実現し、心からすばらしい作品だと感服した次第です。

 こうして横井さんからもらった勇気と元気を他のみなさんにも共有したい。そんな若者が、今、この日本の国にいること。横井庄一さんは、きっとあの世で喜んでいると確信します。日本の誇りです。

 実は、溝端さんが最初にこの作品を神戸市内で実演したところ、観客の人から、こう尋ねられたのだそうです。

「横井庄一さんの遺族の許可を得てやっているのか?」

 そこで、溝端さんは、まずは、その年に主婦の亀山永子さんの『よこいしょういちさん』という切り絵の絵本を出版したばっかりの名古屋市の会社、ゆいぽおとを訪れて、山本直子社長に面会して、著作権について確認を取ったそうです。

 

 

 そして、山本社長からの紹介で、横井夫人の甥である私に会いに来られました。溝端さんは、横井さんのレコードまで探してきてくださって、研究熱心なことに感動し、2021年2月12日の神戸市三宮での3回連続の上演を見て、その素晴らしい仕上がりに感動し、いつか、名古屋で実現して欲しいと願ってきました。

 今後も、ひきつづき、毎年、名古屋で講演ができますように、心から、その成功を祈っております。